【小説を推敲する】歌仙の夢1 第二稿

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小説は推敲する物。

最初から完成稿が書けるわけではないです。

 

と、何度かあちこちで書せていただきました。

 

↓こういう説明も動画を作りました。

(1) 小説の書き方 『第一稿、第二稿』の意味 - YouTube - YouTube

 

長いので、実際に、テキストを記事にコピー&ペーストしていきます。

 

同じ小説の、多少違ったバージョンが

いくつも記事になりますが、ご了承ください。

 

今回は↓この小説の第一稿から、第五稿までです。

[R-18G] 【刀剣乱舞 兼歌】歌仙の夢 桜湧 | 晶山嵐 #pixiv 

 

 『歌仙の夢 桜湧(おうゆう)』第2稿。

「なぁ、どうしてあんなことしてんだよお前!」
 本丸の片隅で、和泉守兼定が近侍の歌仙兼定を問い詰めていた。そのまま首を掻きそうな勢いだ。
「あんなこととは?」
 対して歌仙は、いつものようにふわりと笑んだまま、まともに和泉の顔を見ようともしない。
 歌仙が他人を真正面から見ないのはいつものことだ。
「よその藩のジジイの下で股を開いてたことだよ!」
 和泉が迫ってくるから歌仙は下がり、すでに本丸の外壁の隅に囲われてしまっていた。
 和泉は審神者の御前で歌仙を見つけ、「誰も来るな! 叩っ斬るぞ!」と怒鳴って歌仙を連れ出したので、辺りには誰もいない。
 いつもは明るく調子の良い和泉だが、そうして本当に激怒したときに誰かが入れた茶々で、その者を重傷寸前まで追いこんだことがある。イタズラ好きの短刀達も、誰一人こうなった和泉を覗こうとはしなかった。
 以前と今で二度しかそうなったことは無いが、以前も歌仙がらみだったので皆納得していた。
 歌仙がらみで和泉をからかってはいけない。
 それは、この本丸での不文律だった。
 和泉も、激しい性格だからといって無為に手を上げる男ではない。自分の強さを知っている。下手に手を上げれば、短刀の首など一瞬で落ちることもわかっていた。勢いがあるだけで、和泉自身は『乱暴者』というわけではないのだ。日々、非常にうるさいしよくモノを壊すけれど、口があるものに力を奮うことは少ない。
 総勢三六振りの刀が集まったこの本丸で、最初から近侍として采配している歌仙は、その経験値も高く、手抜かりも無いので誰も逆らえなかった。否、逆らおうと思うことがまず無い。
 和やかな笑顔でまわりを和ませ、雅びを解さないと言ってたまに厭味を言う人間味もある。
「君は、黙っていれば雅びなのに……」
 と、和泉にため息をつく姿ももうみんな慣れっこだ。たまに、歌仙が和泉の髪を梳っていたり、派手に着飾らせたりすることがある。どこのお姫様だお前は、と、みな、目を細めて眺めていた。
 そういうときは和泉もしばらくしゃなりしゃなりとしているのだが、やはり生来の気性が激しいために、すぐに騒ぎを起こして歌仙に怒られる。黙る。騒ぐ。その繰り返しだ。
「歌仙は? 歌仙どこにいる!」
 和泉がそう喚きながら本丸中を駆け回っているのも日常風景だ。
 和泉も最古参の一人。他の者では手合わせの相手にもならない。ヒマがあれば歌仙と手合わせしたがって、騒いで、怒られて、シュンとして、歌仙の傍で正座して、足が痺れて転がって、それでも歌仙に無視されて、喚きだして、道場に殴りこんで一〇〇人乱取りを仕掛けてようやく収まる。
 本丸の天気は和泉次第と言っても過言ではない。
 そんな和泉が歌仙を引き連れて『覗くな』と言われたら、誰もがその反対側に固まって壁を愛でるしかないのだ。次郎と陸奥と薬研だけが、お互いに目を見交わしてくちびるを噛む。
 以前の和泉の大噴気は、歌仙が怪我を隠して出陣したことだった。しかも、和泉をかばって重傷になったのだ。せっかく手入れが終わって出てきた歌仙を、また重傷にするのかと言うほど歌仙の衿を掴んで振り回していた。
「俺はてめーを守るために出陣してるんだっ! 俺をかばっててめーが重傷になってどうするっ! 俺たちどうしていいかわかんねーだろっ! 御大は後ろで俺たちに命令してりゃいいんだよっ!」
 しごくもっともな言い分で、みな頷いた。だが、仲間である和泉をかばった歌仙を責めるのも忍びない。ただ、進行方向を知っているのも歌仙だけなので、歌仙が重傷で口も聞けない状態になってしまうと、帰還も大変だったのだ。報告書には、『進軍先』までしか記述されないが、奥にいけば行くほど『帰還』も同じだけの戦闘が勃発する可能性は高い。重傷者を担いで山間を忍び帰るのは簡単な話ではなかった。
 和泉の大噴気はそういうものだとみなわかっている。自分のためではないのだ。歌仙が危ないから怒っている。今回もそうだろうとみな思った。
 新参の者たちはそれに口をはさむことはできないし、和泉以外の最古参は短刀だ。太刀に怒鳴られては吹っ飛ばされる。強いて言えば鶯丸も最古参の一人だが、彼はこういうときに割って入る性格ではなかった。
 遅参した堀川とて、歌仙のことに関しては和泉に何をいう口も持ってはいないのだ。以前は相棒だったけれど、今生での歌仙と和泉との距離は、自分よりはるかに近い。堀川と和泉が前世で一緒に居た時間より、歌仙と和泉が今生で共に過ごした時間の方が長いのだ。
 そんな各所の思惑の中、誰も引き止めないまま、歌仙は城の隅で和泉からの憤怒を被っていたが、涼しい顔をしている。それがまた、和泉は肚立だしい。
「こないだの遠征に、隠れてついて行ったんだよ!」
「なぜ?」
「なぜ!」
 ひょうひょうと聞き返してきた歌仙に、和泉は怒髪天をついた。
「お前がそういうことをしてるって噂になってるからだろうがっ!」
「そういうこととは?」
「お前がっ、遠征先でそういうことをして、軍を維持する金を稼いでるって話だよ!」
 次郎が入ってきたときに、陸奥とそういうことで言い争いになっていたのを和泉は聞いてしまったのだ。その時は、それがなんのことかわからなかった。なのでそのあとしつこく陸奥に問いただし続け、根負けした陸奥が教えてくれたのだ。
『あくまで噂じゃきぃ』
 何度もそう前置きして大きなため息をつく陸奥。
『歌仙様指名で、遠征の要請が入るのは前からじゃき。それが最近ふえとるぜよ? どうも、大名の間でそういう噂が広まっとるらしくて、次郎がここに来たあとで、次郎に直接そういう話を持ちかけた奴がおったんじゃと。『いつもは歌仙殿に頼むが、たまにはお前も来い』言われてヒス起こしてたんぜよ』
 その次郎と陸奥の話は当然和泉も聞いていた。だからこその疑問だったのだから。
『歌仙様も雅びがなんだとおっしゃりながら、巧いことやってんじゃなぁい』
 通りがかった和泉には次郎のその声だけが聞こえた。その前後の会話は聞こえなかったし、そのまま通りすぎる筈だったのに、陸奥が次郎の頬を張り倒したので駆け寄ったのだ。女の子に手をあげるんじゃねぇっ! と言い掛けて、こいつ男だった、と思いなおし、でも、本丸での暴力ざたは見過ごせない、と間に入った。
『おまんはどうかしらんがよ、俺は、歌仙殿の男気に惚れてここにおるんじゃきっ! あんお人を侮辱するんは許さんぜよっ!』
『侮辱なんてしてないわよ! ホントのことじゃないのっ!』
『軽口にしていい真実とそうじゃないもんがあろうがっ! そんなこともわからんのなら、その真っ赤なくちびる縫うてやるきにっ!』
 いつも朗らかな陸奥があんなに怒ったのを和泉が見たのはあの時きりだ。いいやつだなぁ、とにんまりしてしまった。彼は、和泉とは違う意味でムードメーカーなのだから。騒ぐときも波長が合うので、和泉の親友と言ってもいい。
 その上で、歌仙を好きな奴はみんな好き、が基本的な和泉の信条だ。陸奥は竜馬について世界を見ていたために見聞が広い。日本では『金銭的なこと』は言わぬが花、だがそういうところも飛び越えて真実を突いてくる。
『金は無いと困るきに』それが陸奥の口癖だ。
 その時に、薬研藤四郎がそそそ、と近づいてきたのだ。
『その噂、助長するわけではないですが、この藩の財政で、僕たちのような金のかかる軍隊を維持できる税収はないと思うのです』
『藩ったって、どこかの大名の所に審神者が間借りしてんだろ? 俺たち付喪神なんだし、現世の金は関係ねぇだろ?』
『ですが、刀を維持する材料や食費などは現世のものですし、資材には莫大な資金が必要ですよ』
『莫大ってどんぐらい?』
『玉鋼なんて、普通の刀には使いませんから』
『え? そうなの?』
『僕たちは歴史上で稀にみる名刀の集まりですよ。同時代に数本作られたことなど無いぐらいの。つまりは、その時期にはその一本を作るぐらいしか資材が無かったとも言えるんです。それを今、一気に集めてますから、莫大な金子がかかっていますよ。だからこそ「間借り」する必要があったんです。現世の資材が何も必要ないのなら、山の中にでも本丸を作れば良かったんですよ』
 財政状況など一切考えたことも無かった和泉は二の句が告げない。反論するなんの材料も持ってはいなかった。今生では自分たちの姿が人間全員に見えている。だが、自分たちはこの時代の姿をしていないのに誰も不思議に思わない。そういうのは審神者の手練なのだと和泉は聞いていた。
 元々が、刀である自分が肉の体を持っている、ということ自体、和泉には意味不明だ。
『こんなでかい軍団維持するの、普通は個人じゃ無理じゃき。審神者が金出しとらん言うなら、全部歌仙殿の肩にかかっとるっちゅーことぜよ? そんじょそこらのことで集まる金子じゃないのはわかるき……そこを追求する気は無いぜよ』
『食費を浮かせるために、畑仕事しなきゃいけないんですね。がんばります!』
 拳を握った薬研の頭を和泉は撫でた。
 最初のうち、みながいやがる畑仕事を歌仙が率先して、していたのだ。歌仙がしていたから和泉も助けた。今では膨大な畑で農作物が取り入れできる。
 真実を理解しているとは言えないが、そのために歌仙が苦労していることだけは和泉にもわかった。そして、遠征で歌仙の後をつけて寝所を覗き、次郎の危惧が真実であることを知ったのだ。
 和泉とて女の子とそういうことをするのは日常茶飯事だ。子供の頃からもてていたし、飾り物や服すら、いくらでも貰っていた。畑仕事に金刺繍の絹なんか着て来るな! と皆に言われるが、本当に腐るほど貰っているのだ。胸の鳳凰の刺繍の形や絹の染め色が微妙に違うらしく、女の子たちは自分が上げた服を和泉が着てくれるととにかく喜ぶ。一人の女の子を大事にしたまえ、とは歌仙に言われていないので、誘われれば誰とでも寝た。だって気持ちいいのだから。
 いくら育っても老人になることは無いらしいが、この本丸に来たときはみな、付喪神は子供だ。その成長過程は、肉の体を持っている限り人間と類似しているらしいから性欲もあるのだ、と和泉は歌仙から聞いていた。審神者と会話ができるのは近侍だけなので、それが本当に審神者の言葉なのかどうか確認する術は和泉に無い。
『だから、君が今、やりたい盛りなのは当然だから。子供は生まれないそうだし、相手をかわいく思うのならば女の子と遊んでおいで』
 そんなことを随分以前に言われている。人間の年齢で言うと和泉は一九才(現代だと一七才)なのだとか。
 だから、歌仙がそこで『ナニ』をしていたのかはわかってしまった。ただ、男同士でどうしているのか、ははっきりわからないだけだ。
 だって男には穴は一つしかねーんだから……えーっ! というところで考えることを拒否してしまっている。
 ただ、和泉は歌仙の言葉を何度も思い返すのだ。
『相手をかわいく思うのならば女の子と遊んでおいで』と言っていた。ならば、歌仙はあの肥え太ったり、老人だったりする彼らを、『かわいく』思っているのだろうか? と。
 それが『金のために我慢している』のならば、和泉は黙っていられなかった。
「軍を維持する費用は本丸から出ているよ」
「嘘つけっ! そんな金、本丸にねぇってみんなわかってるよ!」
 早速嘘をつかれて和泉はいきり立った。今までまったく興味が無かった自分がはずかしいとさえ思う。
「みんなとは、誰のことだね?」
「話しそらすんじゃねぇっ!」
 相変わらず、自分が猛ってもひょうひょうとしている歌仙に、和泉は頭の中を爪でがりがりと引っかかれているかのような不快感を覚えた。
「君が仕掛けて来た話なのだから、質問にまず応えたまえ」
 あくまでもふわりとどこかを見ている歌仙に、和泉はどんどんと熱が上がっていく。
「短刀達がそういうことを気にするわけがない。新参がそこまで気をまわすなら、次郎と……陸奥守、だろう? 君の言う『みんな』とは、誰と誰のことだね?」
「…………次郎と陸奥と薬研だよっ!」
 ああ、薬研もか……と、歌仙がくちびるの内側で呟くのを、和泉は苦々しく睨み付けた。
「その三人が、君の言う『みんな』かね? 本丸の中の、一二分の一が、君の中の『みんな』なのかね」
 ギジッ……と、和泉の歯が軋む音を立てたのと、彼の大きな手のひらが白壁に轟音を響かせたのは、同時。だが、その衝撃さえ、歌仙の紅蓮色の髪を靡かせただけだった。
「俺の認識が甘いのは認めるさ。悪かったな。詫びてやるよ。
 次はお前の番だ、歌仙。なぜ、そんなことを、した?」
「昔は私のことを歌仙様、と呼んでいたのに……いつからそんな居丈高な口を聞くようになったのだろうね」
「お前を好きだ、って気づいたときからだ」
 瑠璃の瞳が歌仙の碧玉を睨み付ける。
 逡巡も無い初めての告白。けれど、それは一切の甘い色を持ってはいなかった。
「お前を守れる男になる」
 先程の激情がまったく消えたことで、逆に歌仙の体はわずかに震えを走らせる。
「そう思って、この、わけのわからない今生を生きてきた」
 和泉の真の怒りは、いつも、とても、静かだ。
「お前は俺よりもっといろんなことを知ってて、とてもじゃないけど一朝一夕には追いつけなくて、お前を守れないことにさんざん泣いてきた」
「君はよく泣く」
 また、壁が轟音を立てる。
「お前が泣かせてんだよ」
 くちびるが触れそうな距離で睨み付けられ、歌仙は瞳を伏せた。
「お前がそうやってっ、俺の言うことから目を逸らすからっ!
 俺をっ、お前を守るための壁だと認識しないからっ!
 俺は、お前を守ることができなくてっ、お前一人傷ついてっ!
 お前だけがこの本丸で、手入れもできない傷を抱えて呻いてるのを見てなきゃいけなくなってんだろっ!」
 和泉の額が歌仙の胸に押しつけられ、歌仙の帯が濡れていく。射干玉の髪が血の色の衣から離れ、海に恋するように揺れ落ちた。絹糸のようなそれに、歌仙はするりと白い指先を絡ませる。
 愛し児の涙に心痛んで蒼天を見上げた。そしてまた、自分を見ないと泣かれるのだ。
 笑顔なら見ているよ、と、歌仙は伝えたことが無い。
「暗殺したいなら狸じゃなく俺に言え!」
 同田貫正国に、歌仙が暗殺の依頼をしていたと、和泉が知ったのは最近の話だ。それで一〇〇両単位の金子が入手できるらしい。歌仙以外が行く遠征の、何倍もの金額だ。
「君は目立つ。暗殺は無理だよ」
「金がほしいなら、あの城陥として全財産ふんだっくって来い、って俺に言え!」
「そんなことを審神者が許す筈が無い」
 その時代の人間との争いは禁じられているのだ。
「じゃあお前が金のために身をひさぐのは許されてるのかよ!」
 やっと本題に入れた、と和泉は内心喜んだ。いつでも、ここに至る前に、歌仙に言いくるめられて撤退することがおおい。
 歌仙は、嘘をつくことは基本的に無いが、真実を全部言ってくれるわけではないのだ。
 烏は白くない。馬は飛べない。それらは真実だが、烏の多くは黒い、馬の多くは走るのが速い、とは言ってくれない。もともと話術があるわけでもない和泉が、歌仙から真実を聞き出すのは至難の業だった。いつのまにか話を逸らされて、別のことで納得してニコニコとその場を去ることが多い。数日して『本題答えてもらってねぇ!』と気づいてまた話を逸らされて……の繰り返しだ。一つのことを問いただすのに一年以上かかったこともある。
 なんでもないことはすぐに教えてくれる。だから、話を逸らされるということは、重大事に関わることなのだ。もともとが、今の自分の質問が軽いことだとは和泉も考えてはいない。だから、最初から肝を据えていた。
「どうせ刀ではないかね。肉が与えられたとは言え、何も未練は無い。有意義に使った方が理に適っているだろう?」
「ならっ、俺がお前抱きたいっつっても抱かせてくれるのかよっ!」
「君がしたいのならば、かまわないよ」
 歌仙の言葉は、言い終わる前に血をほとばしらせた。
 刀を持っては一〇人一薙ぎにする長い腕で頬を張り倒されたのだ。
 歌仙は少し咳込みながら、服につかないように血を地面に吐き捨てた。その額の傍に、和泉の左手が壁に突きたてられている。後ろは壁の隅。目の前には和泉。獅子脅しが澄んだ音を立てる中、歌仙は牢獄にいるかのようだった。
 愛おしい、監獄だ。
「俺たちは審神者に呼び出された付喪神だと言われた……それを否定するものも、肯定するものも、俺にはねぇ。この世界の意味はあまりわかって、ねぇ…………他の奴らで審神者を神聖視してるやつがずいぶんいるけど、その意味も、俺にはわからねぇ……」
 まだ、額を歌仙の胸に押しつけたまま、震えだす、和泉。その肩を抱こうとして上げられ、また壁に戻った白い指を、強く目をつぶっていた彼は見られなかった。
「お前がいたから……歌仙…………」
 震える声。
「今生に生み出された子供の俺に、お前が微笑んで頭を撫でてくれたから…………」
 壁についていた手が、歌仙の両肩を掴む。
 普段はあんなに体温が高いのに、白壁に吸い取られたそれは歌仙を震わせた。
「お前だけが、俺の主なんだ…………歌仙……」
 滂沱と濡れている瑠璃玉に見つめられて、歌仙は微笑んだ。
「笑うなっ!」
 本当に、その目で見てくれたことが嬉しくて笑ってしまうのに、怒られて、歌仙は目を閉じる。
「お前から触れてくれることなんて今でも無い。あの、最初の、たった一度だけだっ! だから、お前が触ってくれた髪を切りたくなくてここまで延ばしちまった」
「君の髪は、好きだよ……とても雅びだ」
「俺は?」
「お前の顔も好きだよ。美しい」
「俺の声は?」
「すがすがしくて良いね」
「俺のこと、好き?」
「ああ。好きだよ、和泉」
 泣いた烏がもう笑った、というように、和泉が顔をほころばせる。その大噴気が消えたことで、本丸のみなも安堵の息をついた。
「ああいうの、好きなやつとすることだよな?」
「人間は、そうらしいね」
「なんでお前は誰とでもできるの?」
「誰とでも……では、ないよ」
「俺とでもできるって言っただろ?」
「君のことは好きだから」
「あの爺たちも好きなの? 俺と同じぐらい好きなの?」
 人斬り太刀の大噴気は、子供の問いかけに替わっていた。
 歌仙が初めて和泉に会ったとき、彼は五才の幼児の姿をしていたのだ。当初から一軍で歌仙の背中を守っていた彼は、人間で言う『子供時代』を過ごしてはいない。血しぶきで彩られ、今後もそれがやむことは無いだろう今生だ。
 だがそれは、歌仙の元に集うた刀達はみな同じ。童の姿で現れ、すくすくと成長していく。歌仙だけが最初から、大人の姿で今生に生を受けた。最初に短刀達と戦場を回っていたために子供扱いが巧くなっただけだ。
 歌仙もまた、子供であることを許されない子供であったのだと、和泉は知らない。
 和泉が会った最初から、歌仙はすでに仰ぎ見る巨大な経験を詰んだ男だったのだから。
「君と同じぐらい好きな者は、今生ではいないよ」
「前は誰が好きだったの?」
「忠興様が好きだよ」
「今でも?」
 歌仙は、一度まばたきをして、和泉を見つめた。
 滅多に真正面から見てくれることの無いその瞳に、和泉は高くなる鼓動を押さえられなかった。だが、その興奮をどうしていいのかもわからない。
「審神者は好きじゃないの?」
「……君ほどでは、ないね」
「じゃあ、俺と一緒? 審神者が一番じゃないの?」
「……そうだね。審神者は、一番好きな存在では、無いね」
「ならどうして?」
 子供の疑問はきりがない。だが、今は誰に急かされているわけでも無い。それに付き合う辛抱強さを、歌仙は持っていた。
 他の者ならば切り上げたかもしれないが、和泉のことだから。和泉の、言うことだから、歌仙は聞きたいのだ。そのすべてを。
「どうして、近侍をやめないの?」
 子供の質問は、残酷だ。
「近侍を辞めてどうするのだね? 他の近侍の下につけと?」
「この世界じゃもう、歴史を変えられねぇ。今から作ることはできねぇ。つまりは、天下統一に名乗りを上げることもできねぇ。
 なら、なんでお前はこの軍隊を維持してるんだ? 審神者に任せて出奔すればいい」
「『今の審神者』は軍事に明るくない。僕がいなければ、編成を決めることもできないよ」
「審神者が好きじゃないなら、心配しなくていいだろ? お前、万人に優しいわけじゃねぇのに、そんな言い訳通ると思ってんのか?」
 和泉の時代でも『民主主義』などというものは無かった。上意下達が絶対のこの時代に、最高権力者である審神者の命令を聞かない、という信条は、殆どの刀に無いだろう。賢人でも俊敏でも愚鈍でも、主は主なのだ。その袂を分かつことは、人でなし、ならず者、理の通らぬ者として人の道から外されてしまう。
「審神者から離れれば、僕たちは存在できなくなるらしいよ?」
「誰も確認してねぇんだろ? はったりかもしれねぇだろ」
 歌仙は目を見開いた。
 これが、歌仙にして和泉を下に置けない理由の一つなのだ。
 とんでもないところから答えを引っ張ってくる。
 歌仙は自分のことを秀才だとは理解している。勉強をして、鍛練をしてここまで来た。だが和泉は、何も知らないのに、突然歌仙の見ず知らずのところから答えを引っ張ってくる、歌仙が鍛練しているのに、歌仙より強くなりつつある、いわゆる『天才』だった。『知識』が無いし、勢いが強いので智将とは誰も見ないだけだ。その上で、この軍では歌仙の次に強い。だから、自分に何か会ったときのために、と歌仙は和泉に近侍の仕事を少しずつ教えてはいた。だが、和泉は審神者とあいたがらないので、会う場所を知っている、というだけだった。
「消えるなら消えればいい。好きで復活したんじゃねぇよ」
 いつも、和泉は、歌仙のほしい言葉を、くれる。
「お前が、誰も殺さなくていいところに、行こう」
 ふわり、とくちびるに触れられた。前にされたのは遠征先だ。
 歌仙は、泣いていた。
 今、泣いていた。
 また、泣いていた。
「消えるまで、手を繋いで歩こう」
 触れた額でささやかれる。
 歌仙の脳裏に、幼い頃の和泉の姿があった。一度も自分は手を引いたことなど無いのに、その小さな手を握って歩いている、自分。
 その子はもう、見上げるほど大きくなった。
 好きだの愛しているのではなく、ただ、手を繋いで歩こう、と。
「君は……本当に、綺麗だね………………和泉……」
 先程、金のために身を売っていた自分を責めたのに、それを汚いのなんのとは、考えていないのだ。
 ただ、『なぜか』と。
 彼は以前からそうだった。
 歌仙がどれだけ彼の目の前で不慮の血を流して見せても、歌仙の思うように処理してくれた。
 和泉に嫌われるかも……
 その心が、常に歌仙の中にはあったのだ。彼の純粋さに、自分の中の醜さを重ねて、あきれられるのではないかと、怯えて、いた。
「手を、つないで…………どこまでも、行こう………………君と…………」
 微笑んでくれる愛し児の頭をそっとささえて、その額にくちびるで触れる。
「愛しているよ、和泉。この世の、僕以外の誰よりも、何よりも……」
 深くくちびるを合わせて、大きな幼子を抱き締めた。
「私の夢が叶ったら、二人で、本丸を、出よう……」
 何度も口接け合う。手を握り締めて。指をからめあって。このまま、壁をすり抜けて行ってしまおうとでもいうように。
 こんなに、歌仙と触れあえることが初めてで、和泉は常軌を逸してしまっていた。背骨を折らんばかりに抱き締めて、顔中に口接けて、くちびるを吸って、もっと奥へとのめり込む。
 子供の頃に頭を撫でてくれた歌仙。
 二度目の、歌仙からの接触が、これなのだ。
 息が切れて二人で噎せて、互いの涙を袂で拭って、額をおしつけてくすくす笑って、そのくちびるを互いについばんだ。
「初めて……お前に俺の言葉が通った気がする……」
 一つになってしまえばいいのに、と和泉が歌仙を抱き締める。歌仙も同じ強さで抱き締め返す。その熱が背中に心地よくて、和泉は笑いがとまらなくなった。
「人間の体になって、良かったぁ……」
 首筋まで舐めながらささやかれて、歌仙が肩を竦めて笑う。
「刀のときは熱くなりようがなかったもんな」
 抱き締める腕も無いしっ! と、もっと強く歌仙を抱き締めて抱き上げて、ワーッ、とその辺りを駆け回る。
 池のほとりの大石に歌仙を座らせて、開いた隙間に自分も尻をねじ込む。吹っ飛ばされそうになった歌仙の腰を抱き寄せて、横からギュッと抱き締めた。腕が寂しくて、歌仙を膝に抱き上げる。
「君はもう…………私は寒風に飛ばされる枯れ葉の気分だよ」
「もう振り回さないーっ! 落ち着いたぜ俺!」
 にぎにぎと、歌仙の体をあたためながらその赤いくちびるにささやく。
「お前の夢……って、聞いていい?」
 ここで部屋に戻って組み敷きたい、などと言わない和泉に、歌仙は本当に和んだ。
 嫌いな者にしか抱かれなかった。
 愛する和泉にそれをされるのが、怖かったのだ。
 何も、感じなかったらどうしよう。
 それでも、愛し続けることができるだろうか?
 そんなことが、馬鹿馬鹿しい杞憂だったと実感する。
 和泉は決して『抱きたいから』好きだと言っているわけではないのだった。
 歌仙が歌仙だから、好きなのだ。
「そうだね、君にだけ、教えて上げよう。私が、審神者を殺さないでいる理由を」
 思うさま、歌仙の頬や耳たぶやくちびるを堪能していた和泉が体を硬くした。
 いつでも、歌仙は和泉より巨(おお)きい。
 いつも、とんでもないことを言われて東奔西走するのが和泉なのだ。
 普段でもいろいろなことを考えている歌仙のその『夢』は、やはり、和泉の慮外だった。
「忠興様を、滅す、こと」
 だよ、……と、耳を噛まれて囁かれる。
 くすぐったくて、うひゃひゃっと騒ぎたいのに、滑り込んでくる声がざらざらと和泉の脳を不愉快に揺らした。
 やはり、とんでもないことを、望んでいた、歌仙。
「忠興様が僕をお使いになる前に弑し奉ることができれば、僕は、血を知らない刀で、いられたのだよ」
 和泉は、抱き締めていたた体を少し離して、その白い顔を覗きこむ。いつもならふんわりと視線を逸らされたのに、その碧玉は真っ直ぐに和泉を見つめていた。
「僕は…………ただの美術品で、居たかった……」
 この軍団一の猛将の、これが、願い。 
「刃として生まれたからにはナニカを切らないと本願を果たせない、とは、僕は思わない」
 長い指で髪を味わわれ、和泉は意識が散逸していく。
「そこに飾られているだけで褒めそやされるもので、ありたかった……」
 大名達の所持刀にはそういうものもたくさんあるのに、なぜ僕はそうなれなかったんだろう……と、嘆く、和泉の世界。
「『歌仙』などという名前…………いらなかった……」
 なんて綺麗な名前だろう、と初めて会ったときに和泉は思ったのに。それすらも嫌悪の対称だったなどと。ではなんと呼べば良いのだろうか?
「俺が歌仙って呼ぶのも、イヤ?」
「君が呼んでくれるから、まだ耐えられたのだよ」
 キュッ、と。後頭部を撫でられて和泉はふにゃっとその胸に溶けた。
「優しく発せられる君の音声は、雅びだ」
 うっとりと、囁いてくれる和泉の想い人。
「君が居たから、この十年あまり、耐えられた……有り難いことだよ、本当に、君の存在に、助けられた」
 意志の無い刀だから、どんな名付けをされようと拒否できないし、嫌悪も無かった。付喪神として下ろされて、歌仙の最初の嘆きはその名だったのだ。笑い話にできるぐらいには慣れたけれど、歓迎できない、名前だった。
『カセンチャマ?』
 幼い和泉が舌足らずに呼んでくれた。あの『音』のかわいらしかったこと、美しかったこと。
 『兼定』と呼ばれると思ったのに、和泉も兼定だから。同族だから。
 その幼いくちびるから発されたその音は、なんと雅びなことか。
 私の名前は、綺麗な音韻だな、と歌仙は初めて思えたのだ。
「それにしちゃ……俺の扱い酷くない?」
「だから、優しく発せられる君の音声、と説明しているよね。君の大声は天守閣にまで聞こえる。傍で発されると、頭が割れそうだよ」
 俺、いつも、歌仙歌仙っ! って喚いてたよな、と和泉も自戒した。
「どんどん、移動できる時代が増えている。そのうち、あの時代にも飛べるだろう。そのために、私は近侍として、本丸を、守っているのだよ」
 さらっと前の話しに戻してくる歌仙。彼の話の展開に、和泉はいつも振り回される。けれど、今回は、全部の質問に的確に答えてもらえたのだ。和泉はとても満足だった。
「でも、それしたら、審神者に逆らうことになるだろ?」
「だから、言っただろう?
 私の夢が叶ったら、二人で本丸を出よう、と」
「あ、そっか!」
 歌仙にクスクス笑われて、和泉もクスクス笑い返し、重大な事実に気づけなかった。

[newpage]

「和泉守って、静かだと本当にいい男だよね」
 その日から、一転して騒がなくなった和泉に、本丸での人気は急上昇だった。
 今までも歌仙しか和泉を押さえ込むことはできなかったが、名実共に歌仙が和泉の鞘となってくれたのだ。
 むき身の刀が主を探して世を騒がすことは一切なくなった。審神者の前だろうと、戦場以外では歌仙にべったりくっついている長髪が諸所鬱陶しいぐらいだ。


 歌仙の夢が、叶おうとしていた。

[newpage]


「時間遡行軍が細川忠興殿を狙っているらしい」
 審神者の発言に、和泉はくちびるを噛みしめた。
 歌仙の夢がもうすぐ叶う!
 二人で本丸を出て行ける!
 和泉には、それしか、なかった。
 歌仙が殺したくないのならば自分も殺したくなど無いのだ。
 和泉には、土方に最後の最後で使われなかった残念な想いがある。
 刀の時代が終わった。
 その転換期に自分は生きていたのだから。
 主に添い遂げたい。
 その心が、くすぶっていたのだ。
 歌仙の夢が、和泉の夢だった。
 その夢が、叶うまでは。
 


 歌仙を一軍隊長として、和泉たちは出撃した。
 だが、どこにも時間遡行軍は出なかったのだ。
 誤報かとみなが不思議顔をしている中、歌仙はゆっくりと辺りを見回していた。その視線に和泉も気づく。
 『時間遡行軍』はこの場合、歌仙なのだ。
 審神者がそのことを知ってこの時代に来たことはあり得ない。それは歌仙の想いを遂げさせることになるのだから。
 歌仙の想いが岩をも通したのだろう、と和泉は感じた。
「私は、嘘つきだからね」
 そう言って、歌仙が笑ったから。どうにか歌仙が審神者を騙したのだろうと和泉は思ったのだ。
 だからこそ、野営の陣から歌仙が抜け出したのを追えた。
 まだ五才の忠興をほふることは簡単なことだ。
 その時点で歴史は変わった。
 財政に窮した細川家は二代兼定を、戦とは縁の無い大名に売り渡し、そこでその兼定は奥座敷の床の間に鎮座し、後に朝廷に献上され、誰にも『使われることの無い』まま、『現代』では美術館に安置される刀となったのだ。
「やったな歌仙っ!」
 和泉が、夢叶った想い人の肩を抱こうとしたその瞬間、指は空を切った。
 その手を見つめて、和泉は眉を寄せる。
 歌仙がいなくなった。
 そこに、二代目兼定はあるのに?
 その時、和泉は気づいた。
 この『兼定』は二代目兼定ではあるが、この時点では『歌仙』ではない。そして、忠興の手から離れるから、その後も『歌仙』の名前はつかないのだ。
「え? 『俺の歌仙』は……どこ行った?」
 混乱しながらも、和泉は野営地に戻り、朝方、歌仙がいないと慌てる自軍をまとめて帰還する。
「とにかく、審神者に話を聞かないことにはわけがわからないだろうっ! 黙ってついて来いっ! 一番焦ってるのは俺だっ!」
 副隊長でもあり、失踪者の恋人である和泉にそういわれては他の者は文句を言えない。
 その道中で、黒い髪の『二代目兼定』が参画してきた。
「僕は二代目兼定。歴代兼定でも随一と誉れ高いことだよね。之定と呼んでくれていいよ。ああ、同族がいるのかい? これは心強いね」
 『之定』は、和泉に笑いかけた。
 あの、歌仙と同じ顔、同じ声、同じしぐさで、『之定』を名乗ったのだ。
 黒く長い髪で。
 子供の、顔で。
『私は、嘘つきだからね』
 子供の之定を前にした和泉の頭に、歌仙の言葉が蘇る。
 あれは、ナニに対しての嘘だった?
 和泉は、審神者を騙すための嘘だと、考えた。
 違うのだ。
 違ったのだ。
『私の夢が叶ったら、二人で本丸を出よう』
 あの、言葉が嘘だったのだ。
 歌仙の夢が叶ったら、歌仙はいなくなってしまうのだから。
 和泉は知らなかった。
 気づけなかった。
 歌仙は、愛していると言った和泉に、綺麗に、嘘をついた。
『愛しているよ、和泉。この世の、僕以外の誰よりも、何よりも……』
 否。それは、嘘ではなかった。
 歌仙は、和泉より、自分を愛していたのだ。
 自分がいなくなることで和泉がどれだけ悲しむかなど、そこには関係ない。
 最初から、しないとわかっていて、和泉とあんな約束をしたのだ。
『私の夢が叶ったら、二人で本丸を出よう』
 命を賭けた、和泉との、約束だったのに……
 和泉は、歌仙となら死んでもいいと思ったのに……
 二人で、共に死ねるのだと思ったのに……
 和泉の悲鳴は、城を揺るがせた。
 数年ぶりに聞いた和泉の大音声に、みなは自分の胸が痛んだ。
 歌仙の部屋で延々と泣いている和泉に、誰も声をかけられない。
 歴史を守るために存在するこの本丸の者たちは、『変わる前の歴史』を忘れられないのだ。
 知らないのは今から来る刀達。
 それと、之定、だった。
 歌仙の消滅と入れ違いに参画した之定には、歌仙の記憶が、無い。
 和泉の目から血が溢れたころ、飲まず食わずだった彼は意識を失い、手当てをされて床に横たえられた。
 目に包帯をしている和泉は、起きているのか寝ているのかもわからない。床ずれができても動かない彼を、皆が心配して部屋に詰めていた。
「イの字。起きとるんじゃろ? お前が飛び起きる事態が勃発したぜよ」
 陸奥が包帯のある和泉の頭を撫でる。彼も、古参の一人なのだ。
「俺ら、これから、あの歌仙殿討伐部隊になるんじゃきぃ」
 和泉は動かない。
「わからんかぁ? 和泉の。俺たちが歴史守らにゃならんから、歴史を変えた歌仙殿を、歴史を変える前まで戻って消滅させることになったんきに」
「え?」
 本当に、和泉が跳ね起きた。
 まわりにいた短刀達は一瞬喜んだが、黙り込む。
「歌仙を討伐っ! ナニ?」
 馬鹿なことを、と怒鳴ろうとした和泉は、無理矢理包帯を取った、かすむ視界で、陸奥が滂沱と涙を流しているのに、言葉をなくす。
「俺たちが…………あの歌仙殿…………討伐………………やて…………」
 ぐしゃぐしゃと顔を歪めて和泉を見つめるそれは、轍が赤く錆びた色をしていた。
「和泉の………………………………なんか俺、わけわからんようなってきた………………」
 思わず、和泉は自分の悲しみより陸奥を抱き締めてその背中を、頭を撫でた。
 歌仙がいなくなって悲しいのは自分だけではなかったのだ。
 付喪神はみな子供の姿で現れる。
 全員、歌仙に育てられたのだ。
 みな、歌仙が消滅して悲しいのだ。
 そのことに、和泉はようやく気づいた。
「ごめん………………俺ばっかり、一人で悲しんでて………………ごめん…………ごめんな……ごめん…………陸奥……」
 大男二人で泣いているのを、短刀達が寄ってきて撫でてくれた。その彼らも、その大きな腕で抱き締めて、和泉も陸奥も泣き崩れる。
「之定見てたら、わかるきぃ…………歌仙様がなんじぇこんなことしたのか、わかるきぃ………………責めることもできん………………あんお人、文系文系言うてたんこのことやったん………『歌仙』の名前が、あんお人には邪魔やったんぜよ……」
 的を射ている陸奥の言葉に、和泉は頷くしかできない。和泉は之定の挨拶を聞いただけだ。歌仙の望みを知っていたから、彼の外見ですべてわかってしまった。けれど、之定を長く見ていれば、古参の者たちにはわかったのだろう。
 ぽんぽんと頭を叩かれて、和泉は顔を上げた。
「おんし、ヒドイ顔しちょるきぃ。ちょっと鏡見てきぃせよ」
 短刀が手鏡を持ってきてくれたので覗き込んだ和泉は、咄嗟にその鏡を投げ捨てた。
 げっそりとやつれて幽鬼のようなのは、手の甲が骨張っていたのでわかっていたが、白目が血の色に染まっていたのだ。己こそが検非違使の幽鬼ではないかと、吐きそうだった。
「怖かろ? おんしが鬼じゃっちゅーても信じる顔しちょるきぃ、治るまで目ぇ伏せとくんぜよ?」
 和泉は頷いて、黒い紗を帯状にして持ってこさせた。審神者もずっとそうしていて、顔が見えないのだ。だからこそ、和泉は、顔も見えない審神者を尊敬する気持ちも沸かなくて、主アルジ、と言っている者たちが信じられないのだった。
 その黒い紗を包帯のように目にまくと、和泉からは外が見えるが、まわりから和泉の目は見えない。
「景色暗くて鬱陶しいじゃろけど、」
「どうせ、歌仙がいなきゃ、世界なんて白黒だ。かまやしねぇ。敵か味方かだけわかりゃいいんだよ」
 歌仙に初めて会ったあの幼いころ。歌仙以外は色あせていた。否、歌仙だけが、和泉の目に色づいて見えたのだ。紫陽花のように揺れるあの髪が好きだった。若葉色のあの瞳が愛おしかった。それ以外は、どうでもよいのだ。
 陸奥が頭を撫でてくれるが、和泉はもう、涙も出なかった。だから、すぐにこの目の色も治るだろうと思う。
 もう、悲しむ先も、無い。
 目の前には之定がいるのだから。
 そして、その之定は、和泉を避けているようだった。和泉が伏せている間に参画した、石切丸や太郎太刀と常に一緒にいる。
 和泉を見る目は以前の碧玉と同じなのに、その中に蔑みの色を見つけて和泉はまた吐きそうになった。
「なんで付喪神に内臓なんてあるんだよ……」
 呟いてから、その内臓があったおかげで歌仙と楽しめたことも思い出してくちびるを噛む。
 和泉は目に注目していて気づかなかったようだが、そうして噛みしめているせいか、和泉のくちびるは血を舐めたように真紅になっていた。
「ようやく出てきたか、和泉守。そなたが一番強いのだから、近侍をしてくれなければ困るのだが、大丈夫か?」
 審神者の声は本当に困っているようで、和泉は笑ってしまいそうになった。こんな声だったかな、と一瞬考えたが、どうでも良いことだ。近侍以外に姿をあまり見せない人だったのだから。
「『歌仙討伐』ではなく『歌仙を連れ戻す』命令でしたら拝受いたします」
「説得、できるか?」
「命に賭けても」
 黒い紗の下で、紅玉の瞳が溶けていく。
 白い頬にしたたり、審神者を黙らせた。
「涙など、枯れたかと思いましたのに……」
 手のひらで拭った和泉は、それが黒く見えたので笑ってしまった。
「涙は枯れても、血は流れてるんだな…………刀の癖に……」
 審神者と喋っている自分の口調が歌仙に似ている、と気づいて尚更笑える。
 穏やかになりたまえ、とよく歌仙に言われたが、もう、怒鳴る気力も無い。
 今の自分は『穏やか』だろうか?
 静かではあるだろうが、あの赤い瞳は『穏やか』の範疇ではないだろう。
 鬼の瞳だ。
 歌仙が帰って来てくれたらすぐに治るだろう。
 そう思ってまた自嘲する。
 連れ戻したいのはやまやまだが、『あの歌仙』が、自分のしたいことを実行しているのを、邪魔させるだろうか。
 そして、歌仙に出会えた場合、『するな』と自分は言えるだろうか。
 歌仙の夢なのに?
 歌仙の夢は『之定』となって叶ったのに?
 石切丸と遊んでいる之定。
 黒い髪の之定。
 黒い、髪の、之定。
 和泉は歌仙が夜、髪を梳っているのをのを見たことがあった。井戸の傍で。
 翌日の朝見に行くと、辺りに砂でかき消してあったけれど、青い染料が見えた。
 青い染料、髪を梳っていた歌仙。歌仙の髪は紫。之定の髪は黒い。
 和泉の中で、自分の黒髪を愛でていた歌仙を思い出す。
 『歌仙』となったときに、歌仙の髪は赤くなったのだろう。それを、青い染料で紫に見せているのだ。
 毛先が濃い色なのは、あれ以上延ばすと真紅が強くなって染まらないのだろう。
 雅びが好きなならば、自分の髪を延ばすのが一番雅びな筈だ。
 延ばせなかったのだ、歌仙は。
 血の色の髪だから。
 自分の名前が嫌いなのに、その由来で変わった髪を愛でられるわけがない。
 だから和泉の頭を撫でてくれたのだ。
 自分が憧れた、長い黒髪だから。
 和泉が長い髪を舞い上げてはしゃいでいるのを、目を細めて眺めていてくれた。
 くったくの無い笑顔で、長い漆黒の髪を翻す和泉の姿が、歌仙の望む姿だったのだろう。
「なんでそんなに………………お前一人、悲しいの…………? 歌仙……歌仙………………俺の……歌仙………………」
 和泉の目は、もっと白から逸脱して行った。
 もう、黒い紗で目を隠して数年。誰も和泉の笑顔を見たことはなく、新参の者は和泉の顔さえ知らなかった。
 すくすくと育つ之定。
 太郎太刀と似た長い黒髪をこれ見よがしに背に流し、たまに隊長も勤めるほどになった。
 堀川国広が手をかけてくれるのもあって、和泉の髪も艶々しい。
 堀川がくすくすと笑いながら和泉の髪を梳いた。
「この前ね、兼さん。之定が僕に質問して来たんですよ。兼さんの髪があんなに艶々しているのは僕が何をしているのか、って」
 歌仙が自分の髪を自慢にしていたら聞きそうなことだな、と和泉は久々に笑った。堀川の前では、和泉は紗も着けないし、眼も開けている。
 ようやく見られた和泉の笑みに、堀川も大きなため息をつくほど安堵した。笑えなくなったわけではないのだ。ただ、心が動きにくくなっただけなのだろう。
 前より髪が伸びたので、長い部分を頭頂でくくって地面につかないようにしていた。
 黒いのに、艶々しくて豪奢な髪だ。
 日が経てば治るかと思われた和泉の白目は、いまだに血を含んでいる。新参の短刀がうっかり見てしまって腰を抜かしたのを、和泉の方が謝った。以前なら、勝手に見たお前が悪い、とでも怒鳴っていただろう。
 この本丸は、和泉のまわりの古参と、之定を中心とする新刀に派閥が別れてしまっていた。
 なぜなら『歌仙を連れ戻す』ということは、『之定が消える』ということでもあるからだ。うっかりと口を滑らせることができないので、疎遠にならざるを得なかった。
 ただ、新刀たちは『歌仙』を知らないので、『歌仙を連れ戻す』と言っても、自分たちの知らない古参の誰かだろうと気にはしていなかった。
 歌仙は頭がいい。
 いろいろと手を変え品を変え、忠興を守ろうとする和泉たちの手をかい潜って忠興を何百回殺されただろう。
 殺されるたびに少し前に、少し前に時間移動するのがわかっているのか、歌仙も過去にさかのぼり、一度は、忠興の二代前の当主を殺して、細川家自体を潰したことがあった。
 歌仙が和泉に囁いた通り、審神者は軍事的にほぼ愚鈍と言ってもよく、和泉が歌仙を上回れる筈もなく、もう数十年、細川家のまわりで一行はうろうろしている。
 たまに、歌仙に会えてはいるのだ。
 和泉はあの夜、歌仙と二人で出撃したのだから。侵入経路を知っている。それでも、十回に一度会えればいい方だ。そして、会えば会話をしてしまう、抱き締めてしまう。口を吸われたらもう終わりだった。
「愛しているよ、和泉」
 いつも、そう囁いてくれる歌仙。
 紫色の髪の歌仙。
 その一言を聞ければ、この先数年正気が保てる、と、和泉はいつも思った。
「俺の歌仙…………」
 瞳はもっと赤くなる。
「本当に僕と同じ顔なのだね。気持ち悪い」
 その時、和泉は之定に後をつけられていた。後ろでそう呟かれて振り返った瞬間、もう歌仙は消えていて、その時の出撃も忠興を守れず、和泉がさすがに切れた。
「お前っ! なんであそこで声を出したっ! もう少しで捕まえられるかもしれなかったのに!」
 帰還して手入れをしたあと、之定の部屋に和泉は抜き身を引っさげて踏み込んだ。咄嗟に之定は石切丸の袖を掴んだが、太郎と彼は和泉に一礼して部屋を出てしまう。辺りは陸奥の采配で人払いがされてしまった。
 まだ、之定は和泉に腕力で勝てるほど育ってはいない。
 私刑になるかもしれない……と、陸奥を始め古参は思った。
 この数十年、歌仙が消えてから喋ることさえまれだった和泉が、以前以上に激怒している。本丸で刀を抜いた彼を、誰も見たことは無かったのだ。
 短刀達は次郎や薬研の元で泣き震える。彼らの兄たちにはすがれない。なぜなら、彼らも新刀だから『歌仙』を知らないのだ。震える自分がそのことを告げてしまえば『之定が消える』ということが知れ渡ってしまう。それは、和泉に逆らうことだ。
 あの、赤い瞳の和泉に逆らうことだ。
 そんな怖いことは、短刀達にできなかった。
 彼らはみな、歌仙がいなくなったときの和泉の、あの号泣を見ているのだ。
 もう、泣いて欲しくなかった。
 次に和泉が泣いたら、戻ってきてくれない気が、するから。
 古参達は初詣でいつも願うのだ。
 『以前の』歌仙と和泉が戻ってきてくれますように、と。
 賑やかだった本丸に戻ってほしい、と願うのだ。
 兄たちも、弟達がなぜ自分の元で泣かないのかと心配だが、本丸全体の戒厳令の元、どうしようもない。
 すでに新刀は、和泉の顔さえ一度も見たことが無い者も多いのだ。なぜ顔を隠しているのか、という理由も、『歌仙-之定』に関連することだから、古参が喋ることもできない。
 そんな中、之定の部屋に暗雲が立ち込めていた。
「忍んでる奴を追ってるのに、他人に聞こえるぐらい声を出す馬鹿がどこにいる! あいつは気づいてなかったんだから、今回こそは捕まえられたのに!」
 抜き身を構えて足を踏みならす大近侍に、之定は腰が抜けていた。
 之定は、歌仙が望んだ通り、『人を斬ったことの無い太刀』だ。命のやりとりをしたことが無い。
 戦場には出ているが、付喪神としてのそれと、本身で人を斬ったそれとは違う。
 歴史上の戦場に出たことのある和泉の迫力に、深窓の箱入りである之定が勝てる筈は無いのだ。
 けれど、彼にも国宝である意地がある。
 設えが良かったから『錆びずに残った』だけの人切り包丁に負ける気はなかった。
「では言わせて貰うが、和泉守っ!」
 『和泉、君はもう……』
 歌仙が名前を呼んでくれたときは苦笑と同時が多かった。『和泉守』という時は礼装の場だけだ。
 歌仙と同じ顔、同じ声でそう呼ばれたことで、和泉の精神は一気に振り切れた。ここに陸奥が居たなら体を張っても和泉を押さえてくれたかもしれない。
 だが、その陸奥さえ、私刑になるかもしれないと思っていながら人払いをした。
 之定の『自分は美術品である』という自尊心は、度々物議をかもしたのだ。
『雅びを解せない人切り包丁風情が』
 それが、彼の隠れた口癖だったのだから。石切丸や太郎から何度も糺されているが、聞こえないところでは言っていることがわかる瞳で和泉派の刀達に鼻をそびやかす
 自分も神刀になるのだ、と、石切丸と日々念仏を唱えていた。
 精神は、鍛えられていただろう。
 今の、和泉の迫力がわからない程には。何事にも動じない太郎太刀ですら、座に残ることを忌避したこの、城をも燃え上がらせるかのような和泉の迫力が、之定にはわからないのだ。
「あなたは何度も歌仙に会っている!」
 陸奥でも口答えしないだろう、怒髪天を突いている和泉に果敢にも言い返した。
「歌仙はあなたの念者(恋人)であろうっ! 毎回ほだされて、あなたが歌仙を見失っているのだ! 僕こそ言いたい! 我々や主の苦労をなんだと思っているのかとっ!」
 之定は自分の主張を終える前に、襖五枚分座敷の奥へと吹っ飛んだ。
 和泉の長い足で回し蹴りを喰らい、奥座敷に胃の内容物をまき散らす。なぜ刀の自分に内臓などというものがあるのかと審神者を恨んだ。
 赤い瞳の鬼が、どんどん大きくなり、蹴り転がされて胸を踏みつけられる。
「雅びが足りないものはすぐ力に訴えるっ! 近侍だ、一番隊隊長だと言っても、おつむはその程度か和泉守兼定! 僕と同じ銘を冠していることを恥だと思え!」
「さすが文系、よく舌が回るぜ」
「あぐっ」
 口に拳を突っ込まれて舌を引っ張られ、之定の肩が浮いた。口から肩に、皮膚が引き裂けるかのような激痛が走る。
 そして、くちびるの先に太刀がひやりと据えられた。
「この舌をこのまま引っこ抜かれるのと、刀で斬られるの、どっちがいい?」
 之定は、今初めて、和泉が顔の紗を取っている事に気づいた。
 わかっていたはずだった。
 先程『紅い鬼が来る』と思ったのだから。
 その赤い目に覗き込まれ、魂の底から震え上がって涙があふれる。
 こいつは化物だ……
 之定は思った。
 言葉が通じない化物だ……
 こんな化物に何かされるぐらいなら……
「おっとっ!」
 之定は、自分で刀に舌を押しつけて切ろうとした。
 自害を、しようとしたのだ。
 だが、反射神経で勝る和泉がそれを気づかないわけもない。
 和泉の太刀は畳みに突きたてられ、之定は顔を手のひらで押さえて口をふさがれた。押しつけられる後頭部に激痛が走るが、赤い目がそんなものを感じさせない。
 この目が怖い。
 何より怖い。
 肉の体の痛みなど、もう、之定は感じなかった。
「死にたいなら、俺が真っ二つに割いてやるぜっ! 刀に内臓を作った審神者を恨めよなっ!」
 いつのまにかはだけられた下半身に楔を打ち込まれて、之定は一瞬気を失った。そして、立て続けの激痛に目覚め、暗転し、赤い闇に呑み込まれ続ける。
 僕は……神刀になる…………のに…………
 押さえつける腕に爪を立てるだけが、今できる之定の抵抗だった。
「お前、俺の髪の艶が気に食わないらしいな?」
 髪を持って振り回され、之定は畳に激突する。
 振りあげられた和泉の拳に自分の髪が引っつかれまれて、居た。そこに太刀が振り切られている。
 自分の髪は長いが、和泉の腕のあの先まで届く筈が無い。
 軽い、頭。それを腕で探り、その喪失感に悲鳴を上げる之定。
「僕の髪っ! 髪っ! 切った! ……あぁっっぐぁっあっ! …………ひっぃっ……もっ……もうっやめってっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっ!」
 赤い瞳に之定の心が折れた。
「痛いっ! 痛いよっ助けてっ! もう動かないでっ! やめてっ! 助けてぇ! 石切丸っ! 太郎太刀っ! 助けてっ! 主様っ! この化物殺してっ! 助けてっ! もうだめっだめっ……僕っ……だめっ…………」
「ダメじゃないぜぇ? お前の中気持ちいい。俺に食らいついてくるぜ? なぁ、歌仙……お前ここが好きだっただろ?」
「ギャアアアアアァァァァァァァァッッッ!」
 部屋中の畳が赤いしぶきで汚れているその中を、熟練の者を相手にするように強く突き上げられ、ただ振り回される。
 その中、舌を噛もうとした之定は、口に自分の刀の塚を突っ込まれ、噎せることもできずに悶絶した。
「お前を自殺させたら、俺が審神者から怒られるだろうがよっ! 今まで育ててやった恩を返してから逝けよなっ! 刀装ぼろぼろ溶かしやがってっ! くそ打刀がっ! そこまで強くさせるのにどんだけ面倒だったと思ってやがんだっ! 戦力になる間は死なせないぜっ! 俺に命を預けたんだからなっ!」
 之定は,畳に突きたてられた和泉の刀に手を延ばした。
 これで首を切れば死ねるのだ。
 この化物から離れられる。
 だが和泉もそれはわかっていた。
 指が届くけれど抜けない場所で凌辱を続け、あざ笑い続ける。
「神刀か神刀か神刀かっ! こんなことされても神刀になれるのかっ? あっ? てめぇが人を斬らねぇのが自慢なら、俺は人を斬るのが自慢だっ! 国宝だろうが宝剣だろうがしるかよ! てめぇは経験の足りねぇ俺の部下でしかねーんだよっ! 笑えよ! 人切り包丁って笑えっ! アーハハハハハッッッッ! 代わりに俺が笑ってやるっ! すげぇっ楽しいっ! 数十年ぶりに笑った! アハハハハッッッ! ハハッ! お前は俺を楽しませてくれる天才だぜっ之定っ! あーもうかわいい、お前かわいい。もっとだもっと……」
 之定の口に突っ込んでいた刀を引き抜いて、和泉はその口に吸いついた。
「すっげぇ血の味がする。どこか切ったか? 歌仙?」
 優しく頭を撫でながら、殴打で晴れ上がっているその顔を舐め回す。
 手入れ部屋にも一緒に入られ、之定は全回復するのに三日かかった。
 

「おい、陸奥ーっ! むんむんムッちゃんっ! そこにいるだろっ!」
 手入れ部屋の様子を見に来た陸奥は、昔懐かしい呼び方をされて目を見開いた。
 まだ歌仙とそういう関係にもなっていなかったときの、あの激しく騒がしい和泉の口調なのだ。豪快に笑っていることがわかる、高い声だ。
「どないしたきぃっ! イの字! 俺はここにいるぜよっ!」
「おうっ! 紫の染料持ってきてくれよっ! それと歌仙の服!」
「染料はええけど……」
 そろりと集まってきた短刀に、陸奥は染料を買ってくるように言づけて手入れ部屋に近づく。
「歌仙殿の服をどないするがかよ?」
「馬鹿かお前、歌仙をここから裸で出せるわけねぇだろっ! 浴衣でもいいから早く! そろそろ手入れ終わるから!」
 昔の明るい和泉の声に一瞬喜んでいた陸奥は、奈落に落ちるかのような凍気に包まれた。
 石切丸や太郎達も駆けつけてくる。
「の……之定の部屋が血まみれです…………彼があんな怪我をしたのですか? 一体、和泉守は何をされたのです? 叱咤と言うにも酷すぎるっ!」
 普段のんびりしている石切丸が蒼白になって陸奥に詰め寄った。
「なんとなく私たちにも歌仙という者と和泉守の関係はわかっています。之定が彼に似ているということも、けれど、していいことと悪いことがあるでしょうっ! なぜあなた方は彼を止めなかったのですかっ!」
「じゃあ、なんでおんしらも之定の部屋からでたんぜよ?」
 まだ、石切丸も太郎太刀も、和泉の経験値には追いついていない。あの時の和泉に、魂のそこから忌避感を覚えて逃げてしまったことをずっと自戒していた。之定の悲鳴をただ、耳を塞いで震えるしか、できなかったのだ。
 彼らは、『祓える魔』には強い。だが、和泉のアレは、『祓えない魔』だった。
 憑依は祓えるが、魔神そのものを祓うことなどできないのだから。
 之定の態度が悪かったのは石切丸もわかっている。何度もいさめたが言葉が通らなかった。自業自得だと、あの部屋を出るときは思ったのだ。だが、あそこまでされることだっただろうかと、自責の念を禁じ得ない。
 そこに、手入れ部屋の戸が開いた。
「はーいっ! 手入れが終わってピッカピカの歌仙サマでーっす! なんだ、みんないるんだっ! どうよ、俺の歌仙、今日も美人さんだぜっ!」
 和泉の横には、歌仙の浴衣を着た、紫色の髪の之定が呆然と立っている。
 歌仙など、いない。
 いないのだ。
 陸奥が騒いでいたから集まっていた古参の者たちは、呆然としながらも、拍手をした。そうすれば、和泉が喜ぶのを知っているからだ。囃されて、和泉は機嫌よさ気に腕を振りあげて笑った。
 新参の者は、手入れされきった之定に暴力の跡は見られないので意味がわからず、立ち尽くしている。
 石切丸が腰を抜かし、太郎に支えられた。
「飯食いに行こうっ! 歌仙っ! なっ! 今日は歌仙の好物だといいなっ!」
 和泉が之定の肩を抱いて縁側を歩いていくのを全員で見送り、古参の短刀達がその場に泣き伏した。
「ナニ? 和泉どうなっちゃったっの? ねぇっナニアレっ!」
「僕たちが何かできることあったんじゃないですか? っ! なにかっ…………あんなになる前にっ!」
「あれ、之定だよねっ? 髪っ! 紫だったよっ? なんで、紫の染料入れてもあんな明るい色にならないでしょ? なんなのあれっ!」
 短刀達にすがりつかれて、陸奥も右手で顔を覆って黙り込む。
「い……和泉守が………………狂った……?」
 言ってはならないことを石切丸が口にした。
 それに古参の短刀達が石をぶつけだす。
「あんたのせいじゃないよっ! 之定にあんなこと言わせまくってたあんたたちのせいでしょっ! 今回の出撃だって、之定がへましなかったら歌仙様捕まえられたかもしれなかったのにっ! 
 和泉は悪くないっ! この数十年ずっと耐えてたのにっ! 笑うことさえなかったのにっ! 今になってあんなっ……あんな笑い方っ!
 以前の和泉に戻るなんてっ! 之定が何したのよっ! 頑張ってた和泉に、引導渡したの之定でしょっ!」
「之定さんじゃ歌仙様の代わりになんてなれないのに……どうするの和泉さん……」
 明後日の方向に石を投げていた乱藤の目の前に太郎太刀が立ちふさがる。
 彼は手を挙げたり、睨んだりは一切しなかったが、その巨体で自分の半分も無い者の目の前に立つというのは『黙れ』を意味するのだと誰にでもわかった。
「私たちはここに来て以来、『歌仙』という者をとらまえるために切磋琢磨してきました。ですが、『歌仙様』とあなたがたが呼ぶような身分のかたであると、私は説明を聞いたことがありませぬ。新刀と古参の壁がそこにあるのだとわかってはいましたが、問う糸口もありませんでした。
 そこは、わかっていただきたい。
 和泉守が何をがんばっていらっしゃったのか、私たちは知らないのです」
 とつとつと訴えられて、短刀達も押し黙った。陸奥や次郎が大きなため息をつく。
 歌仙が消失したその時、之定が参画してきた。和泉は号泣し続けて用を成さず、本丸は上を下へとひっくり返っていたのだ。近侍がいなくなり、その代わりになれる者が部屋から出て来ないのだから。どうすれば審神者の部屋に行けるのかも、殆どの者は知らなかった。
 とにかく、和泉が落ち着くまでは、と新刀達に何も説明せず、そのまま、ずるずると数十年が過ぎてしまったのだ。
 新刀は新刀で、漏れ聞くところからなんとなく推測はできるけれど、問うて良い雰囲気になったことがなく、古参は古参で、新刀が来るとどんな話でもピタッとやめてしまう。今、自分たちは新刀に聞かれて良いことを話していただろうか、と、無意識に思ってしまうのだ。
 秘密を抱える、というのはそれほどに重たいものだった。
 古参がそれでもがんばれたのは、その秘密を知っているのが一人二人ではないからだ。今でも思い出したら泣いてしまう程の、あの、自分の刀身にひびが入りそうな和泉の悲嘆を、『古参は全員知っている』ということが、心の支えになっている。
「とにかく、飯の時間じゃき。広間行こうぜよ」
 どんな時も努めて笑顔の陸奥に追い払われ、全員がとぼとぼとその場を後にする。
 みな、行きたくなかった。
 なぜなら、そこには、先に行った和泉たちがいるはずだからだ。
 今の二人を、誰も見たくは無かった。
「おうっ! 先にやってるぜっ!」
 入ってきた陸奥たちに和泉は軽く手を上げ、膳を掻き込んでいた。三日食べていないのだからそれは減っただろう勢いだ。
 金輪際離すものか、とばかりに、之定の右肘を自分の左肘で抱え込んでいる和泉。これが本当に歌仙と和泉ならなんてほほえましい光景だろう……と、古参達はため息をついた。以前は二人ともそんな感じだったのだ。歌仙はそんな和泉に戸惑っていたが、和泉がまったく隠す気が無いのがありありとわかったのと、一瞬で全員にバレてしまったのであきらめたらしかった。
 ナニにも執着しなかった和泉の、たった一つの妄執が、歌仙一人の肩にかかっていたのだ。
 大型犬は、膝に乗らないようにしつけなければならない。いくらかかわいい仔犬の時でも、膝に乗せて遊ばせていれば、巨体になっても乗り上げてきて膝を潰される。
 和泉の、歌仙に対する愛情もそんな感じで、最初に和泉を甘やかせた歌仙の失敗だったのだ。
 あの激情でもって、全身全霊を賭けて歌仙を愛した和泉。
 歌仙はまだ、器が広かった。和泉のワガママを甘やかせる手腕も余裕もあったのだ。実年齢としても、経験値としても、歌仙の方がはるかに上だったから。
 之定が耐えられんくなった時に、もう一波瀾あるぜよ……と、陸奥は次郎と目を見交わす。
 かつかつと箸を進めている和泉とは反対に、之定は茫として箸も持っていなかった。
「本当に歌仙様みたいだ……」
 短刀達がひそひそと囁き合う。
 元は同じ顔なので似ていて当然だった。和泉が切ったらしい髪がざんばらであること、色が青紫であることを覗いては。歌仙は、桃色に近い紫の髪だった。
 カツカツ笑顔で食事をしている横で、たまに我慢が切れるのだろう滂沱と涙を流す之定。どうした歌仙? と和泉に伺われ、慌てて顔を拭く彼が、石切丸は不憫でならない。何かできないか、何か和泉に進言できないかと思うのだが、和泉の笑顔がおそろしいし、之定が黙っているのでかばうこともできない。
 あれでいいはずが無い。だが、逃げてくれないと助けられないのだ。
「なんだよ歌仙、全然食べてねぇじゃねーか。これ好物だったろ?」
 之定は、和泉に差し出された小鉢を見て、和泉を見て、石切丸を見て、もう一度小鉢を見て、どうにか箸を手にとった。だが、ギャグかと思うほど手が震えてぽろぽろと落ちてしまう。
「なんだ? また手を痛めたのか? また代筆とか言うなよなー。ほら、あーん」
 和泉の箸が小芋を突き刺して之定の口元に持っていく。之定の体が一瞬で硬直し、膳が跳ね上がって皿や料理が散乱した。それでも和泉はにっにこと之定にアーンを続けている。
 之定の目が、その箸の先端と和泉の手、和泉の顔を何度も往復する。
 そういうことを万座の中でされることが恥ずかしいのではない。あれだけ暴力を受けた男に、尖ったものの先端を突きつけられていることが純粋に怖いのだ。食いしばりすぎて歯茎から血が出てくるほどに。
 どうしても、之定は口を開けることができなかった。その背中を和泉に撫でられ、また跳び上がる。
「和泉守、しばし待たれよ」
 やっと声を掛けられた石切丸のそれを、之定の悲鳴が遮った。
「ごめんなさいっ、本当にごめんなさいっ! 僕の口が過ぎましたっ! 本当に許してくださいっ! もう許してくださいっ!」
 差し出され続ける『アーン』に、之定が怖ぞ気を振って後ずさり、土下座した。
 今までの居丈高さなど微塵にも無いその風情に、全員が目を逸らす。
「どうしたの歌仙? これ嫌いだったっけ? なんか、材料がどこそこで取ったものと違うとか、言う? じゃあこれはー?」
「本当に許してください。もう許してくださいっ! お願いですからっ!」
 『アーン』の箸を一端自分の口に突っ込んで、和泉はニコニコと之定を見た。
 その目に、之定は震え上がる。
『今日からお前が歌仙だ。そのうち近侍も譲るから、しっかりしろよ?』
 和泉に殴り込まれたあの晩、否、もう明け方だっただろう。之定は、感覚の無くなった頬を舐められながらそう囁かれたのを思い出す。
 追捕されている罪人の代わりなど上段ではなかったが、和泉の紅い目に微笑まれて、ガチガチ鳴る歯で、『否』を言えるわけが無かった。コクコクと震えながら頷いた之定の頭を優しく撫でて笑う和泉に、ただ、之定は涙
「昨日教えたよな? 歌仙はそうじゃない、って」
「ひっ……」
 之定の、喉を引きつらせるような悲鳴と、陸奥たちの驚愕は同時だった。
 陸奥は咄嗟に石切丸と顔を見合わせる。
 和泉は、狂ったわけではない。之定に、わかっていてコレをしているのだ。之定を歌仙と勘違いしているわけではない。
 嫌がらせ?
 懲罰?
 否。
 陸奥も石切丸も、ごくりとナニカを呑み込んだ。
 和泉は決めたのだ。
 之定を、歌仙だと。
 決めたのだ。
 歌仙の代わりを本丸に据えつけることを。
 自分が愛する者を、無理矢理之定に決めたのだ。
 自分が狂ってしまう寸前に。
 まだ、和泉は踏みとどまっていた。
 断崖絶壁の崖っぷちで。
 だがそれは、之定の苦境を助長するだけだっただろう。
「和泉守。之定は歌仙殿ではありません! 和泉守!」
 万座の中で立ち上がった石切丸が訴える。之定が一瞬石切丸を振り返ったが、すぐに和泉に向き直り、その手が和泉自身の腹に動いたことに身をすくませる。
 之定には、和泉の手がどこにいくのかが怖いのだ。
 石切丸が今助けてくれようとしているが、どう考えても和泉の方が強い。之定はたしかに、古参達に愚挙を続けた。けれど、自身は二代目之定だ。あの、歌仙と同じ知能を持っていて当然なのだ。
 その思考を結集させ、ただ、和泉にだけ注視して、彼の一挙手一投足を見つめている。
 自分への被害が最小限になることだけを考えているのだ。そこには、きっと助けにならない石切丸の存在など、入る隙が無い。
「あー、食った食った! 俺ぁ、審神者から一月ほど砂風呂にでもつかって来いって言われたから、とりあえず今日はもう寝るなーっ! 急用以外で俺の部屋来んなよっ! じゃっ!」
 勢いよく右手を上げて、和泉は之定をかっさらって消えた。
 本当に以前通りの和泉だ。
 そういえば、今の和泉は目に紗を巻いていなかった。白目は依然赤かったが、常に笑顔だったのでそんなに気にならなかったのだ。
 石切丸は、震えながらその場にへたりこんだ。
 足が、動かなかったのだ。
 あの、之定を持って行こうとした和泉の前に立ちふさがりたかったのに。
 和泉は自分の席から立ち上がって縁側に出る間に、ちらりと石切丸を眺めて行った。
 彼はたんに、そこにいる者たちに席を辞す挨拶をしただけのつもりだっただろう。
 口も目も、笑みの形にほころんでいた。
 けれど、その紅い目と視線が会った瞬間、石切丸は、もう、足が床に張りついて動かないことを感じたのだ。
 之定と石切丸や太郎太刀は同じ時期にこの本丸に参画した。つまりは、ほぼ同じ年齢で、幼なじみと言っても良い間柄だった。
 之定は、たしかに性格は一部良くない部分があったが、神刀になりたくて、必死に石切丸のあとをついて勉強に励む頭のよい少年だった。石切丸がすることはなんでもしたがったし、実際、すぐにできるようになった。元々の頭が違うのだな、と何度石切丸は感心しただろう。
 その彼が、全神経を集中させて和泉を見ていた。
 石切丸では助けにならない、とわかっているからだ。それが石切丸にもわかって、己の力のなさに歯噛みする。背を撫でてくれる太郎の手が唯一の救いだが、彼も和泉に立ち向かおうとはしなかった。
 今生で、彼らの10倍以上の時間を生きている和泉守兼定。とても、彼ら三人が立ち向かえる相手ではない。之定を魔神への生贄に出したような絶望感が石切丸を苛んだ。
 だが、座は、座ってしまった石切丸がもう見えないので、和泉がいなくなったことで少し明るくなった。なんといっても、新刀で之定の身に起こっただろうことを知っているのは、太郎と石切丸だけだったのだから。
「和泉守ってあんなお顔してらしたんですね。なんのためにお隠しになられてたのですか?」
「目が赤かったじゃろ? あれが、突然なったき、不気味じゃろて隠してたんぜよ」
「ああそういえば、白目が赤かったですね。けれど、それほど不気味だとは思いませんでしたが」
「稀に見る美丈夫じゃのーっ! カカカカッ!」
「そうよねぇっ! 色男が顔隠してたからアレだったけど、今日は眼福だったわー」
 新参は之定のことをよくしらないし、古参はあの和泉に少しだけ気を抜いた。新参から見てそんなに変に見えないのならば、彼らにはその方が楽だったのだ。
「……も…もしかして……之定様が……歌仙様のようになって……く…くださったら、全部丸く……収まるんじゃ……? ない…………ですか……?」
 こういうときには物おじしない五虎退が呟いたのに、古参は納得してしまいそうになる。それではあまりに之定がかわいそうすぎないか? という心はかみ砕いて呑み込んだ。
 今回の出撃でミスをしたのも之定だし、和泉の最後の一線を切ったのも彼だ。
 誰かに責任をなすりつけて、みな楽になりたいのだ。之定一人が我慢すれば、和泉は前の和泉に戻ってくれることだろう。古参には、新参の之定より和泉の方がはるかに大事なのだ。
 和泉が以前通りになってくれたら、本丸は天国なんだよねー、というみなの心が広間に充満していた。
 


 その数日後、短刀の部屋に之定が現れたことに短刀達はひっくり返って驚いた。之定は紙と筆を持って平身低頭だ。
「突然済まないが……歌仙様のことを教えてもらえないだろうか?」
「大丈夫? 和泉追い駆けてきてない?」
 乱藤が縁側を確認する。
「先程お眠りになられたので、大丈夫かと……」
 こちらも眠いのだろう之定が、目をこすりながら、ですから……と、短刀達を見やる。その喉元に花びらが散っていてみな目を逸らした。和泉が愛用している梅の香りが部屋に充満していく。歌仙から貰ったんだ、と律儀に着物に焚き締めていたものだ。之定は藤の香りを愛用していた筈だった。
「えっと、歌仙様の何を聞きたいの?」
「しぐさとか、ものいいとか、口癖とか……歌仙様らしくならないと……いけない……ので……」
「でもあんた歌仙様じゃないんだし、無理しない方がよくない?」
「でもっそうしないと僕っ……」
「似てないって和泉が殴るの?」
「いえっ……殴られることはもう、一度も……無い、です…………凄く優しくて………怖いぐらいで……」
 之定の青ざめていた顔が、少し赤くなった。
 最初の晩は怪我に怪我を重ねられて拷問でしかなかったが、一度手入れをしたあとは和泉は骨が溶けるほど優しかったのだ。
 もう、本当に痛くはないのだろうか?
 と、之定は和泉を眺める。
 あの一晩だけ常軌を逸したのならば、やはり僕が悪かったのだ……
 あまりの和泉の優しさに、之定はもう、そう考え始めていた。まだ、緊張が完全に溶けたわけではないけれど、手入れされて健康体になったからだに和泉の愛撫は之定を昇天させ続けたのだ。之定も歌仙と同じ刀。性感帯が同じだった。
「まー、和泉は元から暴力奮うような奴じゃなかったしねー」
「はい……過日の騒ぎは、僕の不徳の致すところと自認しております」
 あまりにヘリ下られて、短刀達は苦笑してしまう。
「そういうのが歌仙様じゃないわ。歌仙様はいつでも自信満々で、穏やかだけれど、和泉より高飛車だったもの」
「……の……之定さんの前の雰囲気で、……『和泉』と……呼び捨てにするだけで……い……いいと思いますよ……歌仙様も……厭味、凄かった、ですから……」
「あんた、何気にきついよね、虎ちゃん」
「そ……そそ……そうですか? すみません。で……でも、歌仙様のように、という……之定さんのご希望が…………あっ!」
 カンッ、と障子が勢いよく開いて、あくびをしている和泉が現れた。
「何してんだお前、布団冷てぇだろ!」
 言葉も終わらぬ内に、之定の腕を引っ張り肩に担いでしまう。
「じゃりじゃり、早く寝ろよー!」
「和泉も早く寝なさいよっ!」
「ずっと寝てたさーっ! はははーっとなっ!」
 後ろに手を振られて、短刀達は暗い廊下に消える巨体を見送った。之定はしんなりと肩にぶら下がっている。
「もしかして、けっこう早めにどうにかなるのかしら?」
「之定さん、もう震えては……おられなかった……です、よね?」
「そりゃ、和泉に三日やられどうしなら、頭ふっとんじゃうんじゃないー」
 突然、沸いて出た次郎にニコと微笑み掛けられ、みな慌てて布団に潜って灯を消した。彼のシモネタは、まだ短刀達には早すぎるのだ。
「くそっ、色男の話で盛り上がれるかと思ったのにっ!」
 闇の中で次郎が舌打ちする。
「今日も歌仙様に会えなかったんでしょう?」
 月明かりの中、出撃部隊にいた次郎に声がかかった。
「まー……もともと、和泉しか探れないお人だからねー。うちらの誰より強いんだし……和泉でも、片手でいなすようなお人だからー。なにが文系なんだか。一番体育会系の癖してさー」
「ぼ……僕、思ってた……んです、けど………………歌仙様、が出現、するの……って、………和泉様がナニカを見間違った……と……いうことは、ない、でしょうか?」
「え? それって、和泉が、歌仙殿がいるって嘘ついてたってこと?」
「嘘……とは、申し上げてない……です……けど。…………和泉様がその……集中しすぎて、……歌仙様の面影をナニカに見立ててたとか……」
「和泉がすでにイッちゃってて、幻覚見たってことだろ? うちらもそれを疑ってたんだけどさー」
「でも、こないだの之定のミスは、和泉が歌仙様を見つけた時に、『自分と同じ顔だ』って声を出したことなんだから、実際にその時、歌仙様はそこにいらっしゃったと思うのよねっ」
「あ、そ……そそそ……そうですね…………之定様もごらんに……なったのですものね…………すいません」
 謝るように、虎もキュウ、と鳴いた。

 そのあとも、之定は和泉が寝た隙を繰って短刀達に歌仙のことを聞きに来た。之定が来ると聞いて、陸奥や次郎まで短刀の部屋を訪れるようになり、歌仙物真似パーティーとなることも多い。
「だから、あんたの以前のあの高飛車な態度で、『和泉』って呼び捨てにすればそれでいいんだってばっ!」
「以前の僕ってそんなに気分悪い存在でしたか? すいません……」
「歌仙殿と言えば『雅びではないね……』ぜよ!」
「アタシも何度言われたか……へへっ」
「戦場以外では絶対に大きな声も出さないかただったし」
「歌仙様、柏手の音が凄かったですよね!」
「拍子木みたいなカーンッて音を立てるのよねっ!」
 之定がパンパンと手を合わせてみる。祝詞を唱えるときにもよくするので、之定の手も木槌を鳴らすような音が出た。それにみんなはしゃぎまくる!
「そうそうそんな音! そんな音! 広間で全員が大騒ぎしてるときでも、一瞬で静まりかえるよね、あの音。板の間に響いて耳痛いったらっ!」
「歌仙様はね、雅びな言葉しか口にしないの。『うるさい』じゃなく『穏やかではないね』って」
「そうそう、『早く食べろ』とかも『冷めてしまうよ?』だよねっ!」
「それとか『冷めてしまっただろう? 取り替えようか?』って」
「あたしそれで取り替えて! ってお代わりしたら、笑われたわ……あの人の言葉は額面通りとっちゃいけないんだよね」
「ぶぶづけたべておいきなさい……ですよね」
「そうそうそうそうそう! なんか京風なんだよね、あのかた」
「一番怖い人なのに、日常だとおっとり見せて騙してる」
「なぁ、おんし、歌仙様て呼ばれて、かまんが?」
 騒いでいるみなを尻目に、陸奥が之定の肩を掴んで真正面から問うてみた。
「歌仙と呼ばれることが平気か、ってことなら、別に、今は……なんとも………………」
「げにまっこと?」
「陸奥、それじゃわかんないって。本当になんとも思ってないのか、って」
「もともと、侍は名前が変わることが珍しくはないですし、刀はそれこそ、主君の命名で名前が変わりますから」
「イの字が主やき、かまんが?」
 之定が次郎に視線で助けを求めた。
「和泉を主と感じたから、もう名前とかどうでもいいのか、って。もう陸奥は、よくも何十年ここにいて、方言が抜けないよね、あんた! どんだけ強情なの」
 陸奥が何か言い争っていたが、之定は少し俯き、顔を上げた。
「最初は、殺される前に死のうと何度もしました。僕を嘲笑するあのかたが怖かった。化物だと思いました。でも、今はとても優しくて……」
 カァッと顔を赤くして、また俯く之定。うっとりした視線で自分の指先から床を見つめ、障子を見上げる。まるでそこに和泉が現れたかのように。短刀も何人かがその障子を振り返った。
「寝ているときにたまに泣かれるんです。その涙が紅いんです…………
 和泉様は、そうしてまだ歌仙様のことで泣いているから、目が治らないのだと、思いました」
 あー……と、次郎や陸奥が嘆息する。
「僕が、そうなることで、少しでもあの涙が止まるなら…………」
 之定のほうが、泣いていた。
「僕はまだ、和泉様を思って血の涙なんて出ません…………あのかたがどれだけ歌仙様を想われているのか、そこに僕が追いつけるとは思いませんが…………それであのかたが笑ってくださるのなら、……いい、のです」
 短刀達も涙ぐむ。
 陸奥もじわりと来たが、次郎を見た。喋るなと言われたのでお前が言えと顎をしゃくる。
「でもねぇ、和泉は必ず歌仙様を見つけるよ? その時あんたどうすんの?」
 馬鹿な質問だ、と次郎も陸奥もわかってはいた。
 『歌仙を捕まえた』というのは『忠興を殺す前』ということだ。殺したあとに捕まえても意味がないので、その時はまた時間を遡らなければならない。
 つまりは、『歌仙を捕まえた』時点で歴史は修正され、之定は消えるのだ。
 忠興を殺した瞬間歌仙が消えたように。
 だから、この質問は愚問なのだった。
 それを考える時間も、対処も、之定には手が出ないことなのだから。
「かまわないです」
 之定は真っ直ぐに陸奥の瞳を見つめて言いきった。
「僕も、歌仙様も、二代目兼定に違いはありません。和泉様が愛してくださるのは、二代目兼定だから」
 之定は自分で頷いて、瞳を伏せ、開けた。そして、自分の胸を両手でそっと押さえる。
「最近、和泉様に愛を囁かれるたびに、僕の内側で、僕とは違う人がくすくす笑っている気配があるんです」

「歌仙様は、僕だと、思います」
 

「人を斬りたくなかった歌仙様の心が、そのまま僕になったのだと、思い、ます」
 
「僕が和泉様に愛されて、歌仙様も喜んでくださっていると、思って、います」

「どのみち、将来なんて僕ではなくても誰にもわからないものでしょう?
 何も気になりません。
 和泉様が傍にいてくださったら」
 クスクスクス、と之定が笑った。
 それが歌仙のそれと重なって、陸奥も次郎も背筋を震わせる。
 たしかに、歌仙と之定は『同じ刀』なのだ。
 黙り込んだ陸奥を前に、之定が顔を上げる。
「和泉様が起きられたようです。失礼しますね」
 和泉の部屋なんてここから遠いのに? と陸奥が次郎と顔を見合わせる。
 ぱたぱたと立ち上がって出ていった之定は、廊下に石切丸が立っていたのを振り返った。部屋に入れず立ち聞きしていたのだ。
「僕を、助けてくれようとしてくれていたよね。礼を言うのが遅くなってすまない。ありがとうね、石切丸」
「……私は……何もできなかった」
「あの和泉相手に助けようとしてくれたことが嬉しいよ。本当に、ありがとう」
 月明かりは庇の向こう。石切丸の顔は之定からよく見えなかったが、少し震えているのはわかった。
「君は、今、幸せなのかな?」
 之定、と呼ぼうとして、石切丸はくちびるを噛んだ。次の瞬間、之定に抱き締められて、柱にぶつかる。
「幸せだよ、凄く、幸せ。君のおかげだよ」
「私は、何もできていないよ」
「ううん。君がいてくれたから。
 僕を助けようとしてくれた君がいてくれたから、僕は、耐えられた。狂わずに済んだ。
 だから、和泉様は僕に優しくなってくれた」
 君のおかげだよ、ともう一度囁いて、之定は静かに廊下を歩いて行った。
 その場でうずくまって泣いてしまった石切丸は、短刀達に部屋に引きずり込まれ、茶を振る舞ってもらった。
「あの子が笑えるようになってくれて、良かった……です……」
 石切丸は、幼子のように微笑んだ。

 

 
作成日: 2015年5月11日(月) 11時26分原稿

作成日: 2015年5月12日(火) 03時35分

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