【小説を書くために】小説を書くための集中力について。

小説の書き方-プロ小説家が教えます サムネイル askからの質問

 

目次

質問文

こんにちは!小説作法についてご質問させてください。

  

 

小説執筆中は推敲はしない(あとで行う)と、

晶山様ブログに書かれていらっしゃるのを拝読しました。

  

とても納得でき、 自分もそうしようと思ったのですが、

つい無意識に推敲しようとして手が止まります。

  

晶山様は執筆中、

どのようにして自分の中の編集者やあら捜しする読み手を追い出していらっしゃいますか。

  

執筆中に、

これ面白いのかなーと逡巡したり、

もっとちゃんとした文にしたい欲に気を取られることなく、

執筆に集中できるヒントがあれば、 ぜひお願いします。

  

私の結論。

  

下記のナニカが足りてないです。

  

  • 次の文章。

      
  • ネタ。

      
  • 体力。

      
  • 精神力。

      
  • モチベーション。

      

次の文章やネタかないと、 書き進めることがまずできません。

  

体力や精神力、 モチベーションがないと集中力が続きません。

  

このどれかが足りないから、 気がそれるのだと思います。

  

結論にいたるまでに最重要なこと。

  

何度も書いていますが

『もっとちゃんとした文にしたい』のは当然です。

  

それでも、

書き上がらなければ、 ちゃんとしてようが、 不細工だろうが意味がない』ということを実感しましょう。

  

書き上がっていない文章が、 珠玉のようにすばらしくても意味がないのです。

  

なぜなら、 書き上がっていないから、 です。

  

  • ズボンを穿く前に靴を履くようなまねはやめましょう。

      
  • 掃除機をかけたあとにはたきをかけるようなまねはやめましょう。

      
  • 洗濯する服に香水をかけても意味がないです。

      
  • 空気清浄機をかけるのは、 換気をしたあとです。

      
  • ヒトサマの家に上がってから、 チャイム押さないでしょ?
  • 自室に入ってから服の埃払いませんよね? 外で払いますよね?
  • 食後の薬を食前に呑んじゃだめです。

      

それだけの話なんです。

  

これらのことをしたら困ると、 生活では実感していますよね?

なぜでしょう?

やってみて、 『自分が困った』からですよね?

小説で、 書き終わる前に推敲してしまうのは、 『困る』と思っていないからです。

  

確実に『時間の無駄』が起こっているのに、 それに気づいていないからです

  

『時間の無駄』って、 時間を気にしない人にはわからないんですよね。

  

『小説を書いている時間』をもうちょっと気にしましょう。

  

やる気とか意識とかじゃなく

『小説を書き上げる前に推敲する』ということは

  • すさまじい時間の無駄をしていて
  • 自分が激しく損をしている』。

      

それに気づくだけなんです。

  

  • 掃除機をかけたあとにはたきをかける。

      

それが無駄だとはわかりますよね?

  • 書き上がっていない小説に推敲をかける、

というのは、 それと同じぐらい『無駄』なんです。

  

それだけの話なんです。

  

『無駄なことをしたくない』と思えば、 自然としなくなるんです。

  

その『実感』が無いから、 しちゃうんです。

  

その理由は簡単です。

  

それは後述します。

  

ここに至るまでの詳細。

  

私は昔から、 ダーッと書き終えてしまうタイプなので
立ち止まって推敲してしまう人がいる、 ということに逆に驚きました。

  

なので、 わざわざブログでも書いたんです。

  

そういうことをしてるから書けないんだよ、 と。

  

私は、 『書くこと』に困ったことがないです。

  

いつでも『書きたいこと』が順番待ちをしています。

  

だから、 『一気に書き上げる』ことができるんです。

  

なので、 『小説が書けない』と言っている人の、 真意は

実際には、 わかりません。

  

ただ、 『小説が書けない』と言っている人の言葉をかき集めてみると

こういう結論が出た、 というだけです。

  

実際には違うかもしれません。

  

でも、 大体の人には当てはまるんじゃないか、 という自信があります。

  

なぜなら、 私はこういう手段で人間観察をして

小説のキャラクターを作っているからです。

  

自分とはかけ離れたキャラクターの性格でも作るからです。

  

自分とは違うキャラクターが何を考えているのか、 は、 常に頭にあります。

  

それでいうと、 『そういう行動をとる人』というのは、

こういうことを考えているからではないか

と思うわけです。

  

なぜ、 それをしてしまうのか?

なんで『推敲したい』と思うのかと推測すると
『暇だから』ですよね。

  

小説を必死で 『とにかくここを書き切って、 ラストまで!』 って考えてたら
一行前を読みかえしませんよね?

一行前を読みかえしているから、 誤字とかに気づいて推敲したくなるのですよね?
一行前を読みかえしている、 ということは、
今書いている部分を見ていない、 ということですよね?

なぜ、 書いている部分を見ていないのでしょう?

書いている部分を見ないと、 続きが書けないのに。

  


文章が浮かんでいないから ですよね?

文章が浮かんでいたら、 それを書き留めるのに必死になっていると思うんです。

  

だって、 書き留めておかないと消えてしまいますから。

  

私は、 だから、 『書くとき』というのは『焦燥感』があります。

  

早く書かないと消える!』っていうのが常にあります。

  

だから、 腱鞘炎で腕が痛かろうが、 眠たかろうが『書く』んです。

  

書かないと消えてしまうから。

  

推敲しちゃう(書く以外のことをする)というのは、 その焦燥感がまずないんでしょう。

  

つまりは『書く体勢』から抜けちゃったからですよね?

『書く気』がなければ『書けない』のは当然。

  

そういうときは『書いている時間』ではなく『推敲する時間』になっているので
推敲しちゃっていいと思います。

  
だって 書けてない んですから。

  

書けないときに書こうとするから、 つらいんです。

  


『 書く時間 』 『 推敲する時間 』 を 『 別の脳を使っている 』 と考えていないから

この二つを同時にしようとして、 『書く気』がなくなって、 書けないんだと思うんです。

  

あくまで推測ですよ?

何回もこのブログでも書いていますが

  • 小説を書く(アウトプット)
  • 検索する(インプット)
  • 修正をかける(外注できる作業)

この三つは、 『脳の使う場所』が違うんです。

  

だから、

小説を書くことに疲れたら、 検索をして、 修正をかけて

そしてまた小説を書く、 ということは『できる(可能)』んです。

  

ただし、 『小説を書く』ことに疲れているので

すでに『脳疲労』を起こしていて、 『小説を書く』と同じぐらいの作業ができないから

一度、 修正をかけたり検索したりすると、 小説が書けない(可能だけどしたくない)、

というのもあるんです。

  

小説を書くことに疲れる前

自分で区切って、 検索して、 修正をかけてリフレッシュしたら

疲れ切って書くのをやめるよりは長い間小説は書けます♪

『書けなくなる』もう一つの原因。

  

  • 『よそに気がそれる』時点で、
    • 話のラストが決まってないんじゃないでしょうか?
    • 書きたい部分が終わってしまってるんじゃないでしょうか?
    • 書きたい部分がないんじゃないでしょうか?

書きたいことがあったら、 書いてますよね?

『書きたいと思う』部分以外は書けません。

  

『気が散る』ことはあります。

  

私も、 数行前の誤字を直すこともあります。

  

ふっ、 と気が抜けるときはあるからです。

  

キャラに感情移入していると、 ぼろぼろ泣きながら書いています。

  

すると、 目が痛いわ、 鼻水は出るわで、 鼻を噛むたびに気が散ります。

  

誤字が気になることもあります。

  

でもね。

  

今、 書きたい

のですよ。

  

今、 続きが書きたい。

  

今、 これを書いてしまいたい!

それって、 渇望なんです。

  

焦燥感なんです。

  

誤字直しをするより先に、 小説の先を書きたい!

優先順位がそうなっているから、 小説を先に書き進めるのが先なんです。

  

その方が、 私には楽なんです。

  

あなたが、 『誤字直しのほうを先にしたい』のなら、 誤字直しをするべきです。

  

書くよりそちらの方が大事なんですから。

  

何が大事なのかを先に定義する。

  

たとえとして

家の中を掃除するときに

はたきを先にかけなきゃいけない、 って言わないと気づかない人っていますよね?

はたきは上からゴミをおとすから

下を先に掃除してからはたきをかけると、 下をもう一度掃除することになって二度手間だよ。

  

って、 掃除をしたことある人ならわかるでしょう?

でもね、 したことないと、 よっぽど注意深くないと気づかないことなんですよ。

  

だって、 初めての経験なんですから。

  

ゴハンの最初に野菜を食べると、 繊維質が血糖値の上昇を抑えてくれる

とか

知らないとしないでしょ?

知ってても、 肉から食べたいでしょ? w

果物は繊維が多いから、 食事の前に食べたら太らない

とか言われたって

果物は食事の後に食べたいでしょ?

知っててもしないでしょ?

その、

  1. 『知らないからする』
  2. 『知ってたらする』
  3. 『知っててもする』

この、 1と2の人は『知らないからしちゃう』んですよね。

  

小説を書いているときに、 誤字直しとかすると、

『小説を書く気がなくなる』ということを知らない。

  

だから、 してしまって、 小説が進まない。

  

そういう人は、 『知ったらしなくなる』可能性が高いじゃないですか?

でも3のひとのように

知っててもする』のなら、 それはそれで『選択』なんですよ。

  

自分で自分を不幸にする、 という『選択』なんです。

  

『手間取る』ぐらいならいいか、 ど思ってたでしょう?

『勝手に不幸になってる』って考えたらどうですか?

したくないでしょ?

『手間取る』→『時間が無駄にかかる』→『無駄な時間を無視している』

→『人生でできることが少なくなる』→『達成できることが少なくなる』

→『成功する確率が低くなる』→『幸せになる確率が低くなる』

→『幸せを実感できないから、 不幸になる』

『手間取る』ことを『無視』すること、 ってこういうことなんですよ。

  

そこまで考えないから、 そんな損が出てるとは思ってなかったでしょう?

缶ジュースを定価で自販機から買ったら、 スーパーで買うより数十円高いですよね?

でも、 買いますよね?

同じものが数十円安く買えるのに、 『今』『ここで買いたい』から買っちゃうんですよね?

一日に三本缶ジュースを定価で買ったら、 50円ほど損になりますか?

10日で500円、 一カ月で1500円、 一年で18000円の損ですね。

  

そして、 そういう人が『何気なくする』ことって

缶ジュースを定価で買うことだけじゃないですよね。

  

生活全般においてそういうことをするから、

月に何万円も、 『それをしない』より損してますよね?

でも、 『何げなく』してるから、 どこにお金を使っているのか全然わかってなくて

『お金が消える』『お金が無い』って言って、 もっと運気を下げるんですね。

  

小説を、 書き上がっていないのに推敲する、 というのは

これぐらい無駄なんです。

  

『知っているのにする』のは『自分の選択』

小説を書いているときは推敲とか誤字直しはしない方が良い。

  

そう、 あなたは知っているのにしてしまう。

  

それは、 癖の問題でもあるかもしれないですが

『小説を書く気が途切れた』という可能性も高いわけです。

  

  • 続きを書くネタがない。

      
  • 続きの文章を思いつかない。

      

そういう場合は、 書こうとしても書けないです。

  

それとね

ダイエットしているのに、 甘いものを食べてしまう。

  

これって『食べない方が良い』と『知ってる』のに『しちゃう』んですよね?

『いけない』 と知っているのに『してしまう』のはなぜか?

なぜ『推敲』や『誤字直し』をしてしまうのか。

  

『簡単だから』です。

  

ダイエットしているのに甘いものを食べてしまう。

  

それは、 『食べないように我慢する』より『食べてしまう』方が簡単だから。

  

『推敲』と『誤字直し』は、 『すでにあるものを修正』するだけです。

  

けれど『小説を書く』ということは

『新しいことを生み出している』ということです。

  

かけるパワーが違うんです。

  

『脳を使う』のは『疲れること』だと実感する必要がある。

  

囲碁とか将棋、 若い頃はよくしたけど、 年をとるとできなくなった

とよく言われます。

  

それは、 『脳を使う体力がなくなった』というのもあるんです。

  

人間は、 『考える』より『体を使う』方が簡単なんです。

  

『頭脳労働者』より『肉体労働者』の方が圧倒的に多いんです。

  

ここからそこまで『20キロの箱を動かす』のは大人なら大体誰にもできますが

では、 『20キロの箱を動かす』時のエネルギーをジュールで答えろ、

と言われたら、 大体の人ができませんよね?

なぜできないのでしょう?

頭脳労働だからです

  

『ジュールで答えろ』という設問に答えられるだけの

『勉強(頭脳労働)』をしてこなかったからです。

  

なぜしなかったのでしょう?

疲れるからいやだったんですね。

  

勉強するのは疲れることなのです。

  

学校の椅子に数十分座り続けるのは疲れることなんです。

  

その疲れる体勢で聞いている受業を覚えることは、 頭脳労働的に疲れることだったんです。

  

だって、 学校で受業を受けている時、 って

その受業が自分の人生でどう訳に立つかわからないんですから。

  

やる気なんておきなくて当然なんです。

  

だから、 やる気がおきなかった自分を責めないで下さい。

  

やる気がおきないのが当然なんです。

  

英語なんて一生しゃべらないひとの方が多いんです。

  

それなのに、 英語の受業を無理矢理受けさせられている、 というのは拷問なんです。

  

社会にでて、 英語を使う必要性が出たから英語を学ぶ

のと

義務教育で、 使うかどうかわからない英語を学ぶ

のは、 まったく意味が違うのです。

  

後者は『拷問』なんです。

  

社会人のあなたならわかるでしょう。

  

45分の受業を、 のびたり体操したり、 トイレに行ったりできずに

ずっと聞き続けて、 意味のわからないことをノートにとる

というのが、 どれだけつらいことか。

  

あくびしただけで怒られるんですよ。

  

オフィスで事務仕事して怒られますか?

疲れてるね、 とか気づかってくれる可能性もあるんですよ。

  

あの『学校』というところはそういうことすらできない拷問空間だったんです。

  

(現代ではそんなきびしくないかもしれませんが、 私のいたところではそうでした)

それをまず、 自覚しましょう。

  

そういうので『勉強する(頭脳労働)』ことが嫌いになって

そちらをすることを選択しなかったから、

それが必要なことができなくなったんです。

  

『考える(頭脳労働)』ことの方が、 体を使うより『体力が必要』なんです。

  

でもね、 『考えること』の方が『大事』だと気づいた人だけが

その時期に勉強していて、 結果的に『勝ち組』になる確率が高くなってるんです。

   現代では。

  

将来勝ちたいから、 今勉強する。

  

それに気づいた人だけが、 学校の勉強にやる気を見いだして、 やってたんです。

  

凄いですよね。

  

どうしても軽く見られる頭脳労働。

  

机に座ってパソコンに向ってるだけで何が疲れただ、 と

よく思われますが

脳味噌を使うのって、 凄く疲れるんです。

  

『小説を書く』って

座って指先しか動いていませんが

凄く疲れる作業なんです。

  

精神的にも疲れますが、 『脳髄』が疲れるというのは

肉体的疲労なんです。

  

でも、 脳髄が疲れるって、 筋肉痛を起こすわけでも無し

頭痛がおこるわけでも無し

気づけないんです。

  

パソコン画面を見て、 10秒以上ボー、 としてしまっているのに気づいたら

『私の脳は疲れている』と自覚して、 体を動かしましょう。

  

ラジオ体操一つしてしまうのが一番です。

  

第一だけだと四分でできます♪

四分の休憩でリフレッシュできます。

  

そして、 肩こりとかもなおります。

  

積極的にラジオ体操しましょう♪

ラジオ体操忘れたという人は、 ネット検索して動画を見直しましょう。

  

それぐらいの検索をパパッとできなければ、 小説のネタなんて探し出せません。

  

人がリンクを貼ってくれるのを待つのはやめましょう。

  

極度の脳疲労とは。

  

8時間ぶっ続けで、 水だけ飲んで小説を書いたら

凄い頭痛が来ますw

↓25000文字の小説です。

  

「【牛獅子】セーフセックス 番外 黒子」/「晶山嵐」の小説 [pixiv]

これを、 寝る前四時間、 起きた後四時間で書き切りました。

  

うちは、 一日一食で正午に食べるので、 この小説を書いているときは

一切のカロリー補給は無しでした。

  

頭死にましたw

物凄い激痛が来ました。

  

万力で締め上げられてるみたいな頭全体がギュウウウウッ! と絞り上げられる痛みです。

  

脳の栄養が足りなくなるからです。

  

そこまでしてようやく、 脳は『脳疲労』を訴えますが

それ以下だと、 疲れていてもわからないんです。

  

実際には、 寝る前に四時間書いたときでも頭痛があって、

起きたときも頭痛があって、 多分、 脳の栄養足りてないな、 とわかってたんですが

『書きたかったから』書き切りました。

  

だって、 ナニカを食べて『胃を動かしてしまったら』書けなくなるかもしれないからです。

  

胃が動いている間は脳は動かないと思っていいです。

  

だから、 食後は眠くなるんです。

  

頭脳労働者は昼食を食べない方が良い理由。

  

昼食食べてるのに、 午後に起きてろってのが、 まず生物学的に無理なんですw

社会人で昼食を食べている人は、

知らずにそういう拷問を自分に課しているのです。

  

寝られない状況なら、 お昼ゴハンは食べるべきじゃないんです。

  

特に頭脳労働の人(事務関係)の人は。

  

ただし、 突然昼食を食べるのをやめるのは駄目です。

  

なぜなら、 『空腹に慣れる』ことをしないと

『空腹が気になって』何もできないからです。

  

大丈夫! 空腹、 ってなれたら気持ちいいです♪

ホントですよ♪

日曜日のお昼とか抜いてみて、 『空腹になれる』ことを試してみてください。

  

なれたら、 お昼を跨いで、 何も食べずに頭脳労働をしてみて下さい。

  

ものすごいはかどります。

  

胃を早く空っぽにすれば良いという意味で言えば

液体だけで食事をすます、 というのも手です。

  

ちょっと胃は動きますが、 固形物を食べたよりは負担になりません。

  

一日三食食べだしたのって、 ここ200年ぐらいだけなんです。

  

人類30万年の歴史の中で、 ここ200年だけなんです。

  

だから『食べ過ぎ』で病気が出てるんです。

  

一日三食なんて人間には必要ないんです。

  

なぜ一日三食食べるようになったのか。

  

エジソンがトースターを発明しました。

  

一日二食より、 一日三食食べた方がトースターが売れる。

  

だから、 『一日三食』が推奨されるようになりました。

  

『土用の丑の日には鰻を食べよう』

『バレンタインデーにはチョコレートをあげよう』

と同じ、 『販売戦略』です。

  

ただ、 『飽食の時代』になったから、

脳に栄養がたくさん行くようになって

社会は進歩したのではないか、 とも思うので

栄養過多を全面否定はしません。

  

ただ、 『一日三食』って『人間としてしてなかったこと』だと

自覚すると人生変わります。

  

朝食は、 お腹いっぱい食べても

通勤時間に眠くなるだけで、 仕事には支障ないです。

  

夕食は、 お腹いっぱい食べても、 すぐに眠れます。

  

昼食だけが、 仕事に支障が出るんです。

  

昼食をやめちゃえばいいんです。

  

午後の眠さがなくなりますよ。

  

私はすでに一日一食なので、 簡単にいいますw

三食食べる必要ないです。

  

空腹はすぐに慣れます。

  

空腹に慣れると、 空腹の時に凄く頭が働くのがわかります。

  

作業が進むので気持いいですよ♪

食事に一時間使うとして、 三食だと三時間。

  

そして、 食後一時間が脳作業に使えないとすると、

一日六時間、 脳作業できないんです。

  

それを一日一食にしたら、 二時間で済みます。

  

勿論、 肉体労働する人にこんなこと勧めません。

  

私も、 外出するときは、 朝食昼食とります。

   (帰宅後は食べないです)

朝抜いて外出すると、 10時ごろからふらふらして判断力がなくなります。

  

三食食べないと胃が自分で胃を溶かす、 って聞いたことありませんか?

そんなことになってたら、 人類はとっくに絶滅しています。

  

先進国の中流以上の人類が飢えと戦わなくて済むようになったのは、

ここ千年ぐらいの問題です。

  

人類二十万年の歴史の中で、 千年弱のことなんです。

  

だから、 『飢え』に対抗するホルモンはたくさんあるのに

『飽食』に対抗するホルモンはインシュリンしかなくて、

肥満が問題になるんです。

  

人類の歴史の中で『肥満』なんて、 無かったんです。

  

肥満するほど食べるのが間違いなんです。

  

一食二食、 食べなくても支障は無いです。

  

食べなかったら目眩がする、 とかいうのは、 いつも必要以上に食べているのを

急に食べなくなったからです。

  

慣れの問題です。

  

でも、 本当に、 『食べない』ことになれると、 楽ですよ~♪

簡単なことをしたいのが自然。

  

朝食べずに外出すると、 10時ごろになにも考えられなくなります。

  

そういうとき、 することは『一番簡単なこと』です。

  

計算まったくできないです。

  

判断力がないから、 決定することもできません。

  

でも、 ノーを言うよりイエスの方が『簡単』なので

はい、 って言ってしまいます。

  

日本人が『イエスマン』と言われるのはこれがあると思います。

  

英語がわからない状態で、 ノーを言うと

『なぜノーなのか』と説明しなきゃいけませんが

『イエス』と言うと、 その場で話は終わるからです。

  

どうでもいいから、 今の状況を動かして、 と思うわけです。

  

危険ですね。

  

こういう脊髄反射だけで生きてる人、 けっこういます。

  

『あの時はそう思ったんだよ』と悪びれなく言える人です。

  

だって、 そう答えたら『楽』なんですから。

  

馬鹿だと思われたら、 脳作業を頼まれないのですから。

  

仕事でもそうでしょう?

『あの人にはできない』と思ったら、 その人にその仕事持っていきませんよね?

『同じ給料なんだから、 あんたこれできるようになりなさいよ!』って言える人、

少ないですね。

  

『できるようになりなさい』っていうより

『他の人に頼む』『自分がする』ほうが楽だからですね。

  

結果的に、 自分が重労働になって苦しむのに。

  

『その場』で『できるようになれ』と言うのが嫌だったために、 そういう悲劇になるんですね。

  

『できない人』は定時で帰っているのに。

  

『簡単』というのは『人生的に簡単』ではなく『その場で簡単』ということです。

  

だいたいにおいて、 そういう『決断』は悲劇をもたらします。

  

小説を書くときも、 簡単なことをつい選択する。

  

『小説を書く』より『推敲、 誤字直し』の方が簡単なんです。

  

新しいことをしなくていいんですから。

  

『簡単なことをしたい』ものなんです、 人間は。

  

『私はこれに立ち向かうんだっ!』という気力がないと

難しいことはしたくないんです。

  

『小説を書く』のが『指先だけ動かして座ってるだけ』と思っているから

覚悟が足りない』のです。

  

「この箱、 30キロあるよ」と言われると、 持ち上げるのに覚悟するでしょう?

でも、 何キロかしらないと、 軽いかも、 と思って覚悟無く持ち上げて

30キロあったら、 腰を悪くする可能性ありますよね?

小説を何気なく書き始める』というのは、 それだけ、 『危険』なんです。

  

だって

自分は簡単だと思って始めた』のに『実際には難しい』けれど

難しいことに気づけない』から、 『簡単だと思って続けて

できない』ことに『自己嫌悪』するんです。

  

なんで、 こんな簡単なことができないの!

と。

  

簡単じゃないんです。

  

難しいことなんです。

  

最初の覚悟が違うんです。

  

小説を書ける人が軽々書いているのは

『小説を書くことがラクな人』だからなんです。

  

あなたが簡単にできること、 あるでしょう?

  • 簡単な料理なら簡単にできませんか?
  • 靴紐をキレイにリボン結びできませんか?
  • いつも仕事でしている作業、 簡単にできますよね?

それを他の人がしたらどうでしょう?

  • リボン結びがキレイにできていない人、 けっこう多いですよ。

      
  • 料理できない人多いですよ。

      
  • あなたは慣れたからできる作業ですが、 慣れてない人には難しいですよ。

      

『小説を書くことがラクな人』にとっては

小説を書くことってラクなことだから、 なんの苦もなく書けるんです。

  

Twitterをめいっぱい書くと、 140文字ですよね。

  

『1000文字の論文』って、 Twitter、 7つちょっと分なんですね。

  

どうです? 『1000文字の論文』って簡単だと思いませんか?

それだけの話なんです。

  

でもそれがわかってないと、

『三千文字の小説』って凄く大変

なんですね。

  

実際には、 Twitterで、 文字数限界まで書くことって一日に何度ある?

ってことでもあるんですw

はっきり言います。

  

Twitterの文字数限界が気になったことない人は

そもそも、 小説家に向いてませんw

私は、 Twitterで呟くとき、 どうやったら文字数に収まるかな

って大概格闘しますw

だって、 『書きたいこと』がたくさんあるんです。

  

文字が書きたいんです。

  

いっぱい書きたいんです。

  

間違いなく、 今のこの考えをわかってほしいんです。

  

行き違いを無くしたいから、 ちゃんと説明したいんです。

  

となると、 こういう長文を普通に垂れ流すわけです。

  

何が悲劇って

言わないで誤解されるより

言って誤解されるのが一番の悲劇。

  

『言う』という労力をとったのに『誤解』される、 というのが最大の悲劇。

  

労力が無駄。

   時間が無駄。

   脳作業が無駄。

   人脈が無駄。

  

私は、 無口ではいられません。

  

だから、 なんでもかんでも発言します。

  

そしたら、 その発言を誤解されると困るので、 ちゃんと説明したい

わけです。

  

『私の欲求』から、 私は文章を書いています。

  

なので『書き切る』ことが『私は楽』なのですね。

  

だから、 『書いてしまう』ことが楽なんです。

  

『書けない』という人はそもそも

文字を書くことに向いてない、 慣れてないのです。

  

空気を吸うように文章を書けないと、 小説なんて書けないです。

  

まず、 『文章を出す』ことを先にしましょう。

  

そのためにも『書き切る』のが『先』です。

  

『簡単なこと』を選択して、 推敲してる場合じゃないです。

  

もう一度、 体力の話し。

  

『小説を書く』ことは イコール

  • 同じ体勢でパソコンの前にいる。

       (体力疲労)
  • 同じ体勢でキーボードを叩き続ける。

       (体力疲労)
  • 脳味噌から小説の文章を常に出し続ける。

       (脳疲労)

これと、 戦っているのです。

  

四時間小説を書く、 というのは

四時間、 飛行機 のエコノミー座席に座り続けてパソコンを触っている

と思ってください。

  

四時間の 飛行機 って凄いですよ。

  

大阪- 東京 が一時間。

  

大阪-博多が二時間?

東京 - 沖縄 が三時間。

  

四時間ってそれより長いんですよ?

その間、 飛行機 の座席に座り続けてるって凄くつらいです。

  

大変でしょ?

でも、 そこまで大変だと思ってなかったでしょう?

四時間ぐらい、 小説を書くために座ってるでしょ?

大変なことだと思っていないから

その『つらさを逃がす』こともしてないですよね?

休憩を取っていないですよね?

『小説を書く』のは『好きなこと』だから『疲れていると思わない』でも

『同じ体勢でいる』ことは『肉体的拷問』だと自覚して

ちゃんと休憩を取って体を動かしましょう。

  

体を動かさないから、 血流が悪くなって

脳に『新鮮な』血がいかなくなって、 頭の働きが悪くなるのです。

  

↓こちらの記事をオススメ♪

小説を書くために必要なこと。

   →集中力。

   その3 | BL作家 晶山嵐の日記

『小説を書き切る』より修正の方を先にしてしまう理由。

  

下記のナニカが足りてないです。

  

  • 次の文章。

      
  • ネタ。

      
  • 体力。

      
  • 精神力。

      
  • モチベーション。

      
  • 次の文章が足りない。

      
    • 書けないから、 よそに気が逸れるのです。

        
  • ネタが足りない。

      
    • 無いから、 よそに気が逸れるのです。

        
  • 体力が足りない。

      
    • 休憩しましょう。

        
  • 精神力が足りない。

      
    • 小説は延々書き続けられる物ではないです。

        
    • ゴハン食べたあととか、 大体駄目です。

        
  • モチベーションが足りない。

      
    • 書きたいもの以外は書けません。

        

そもそも、 何が優先かわかっていない。

  

質問文

こんにちは!小説作法についてご質問させてください。

  

小説執筆中は推敲はしない(あとで行う)と、

晶山様ブログに書かれていらっしゃるのを拝読しました。

  

とても納得でき、 自分もそうしようと思ったのですが、

つい無意識に推敲しようとして手が止まります。

  

晶山様は執筆中、

どのようにして自分の中の編集者やあら捜しする読み手を追い出していらっしゃいますか。

  

執筆中に、

これ面白いのかなーと逡巡したり、

もっとちゃんとした文にしたい欲に気を取られることなく、

執筆に集中できるヒントがあれば、 ぜひお願いします。

  

これ面白いのかなーと逡巡するのは、 書けないから気がよそに逸れているのです。

  

無理せず書くのを中断しましょう。

  

面白いか面白くないかは、 最後まで書いてからわかることです。

  

面白くなかったら書かないのですか?

違うでしょ?

書きたいから書くんでしょ?

ならば書きましょう。

  

書き上げてから、 面白くなければ、 『なぜ面白くないのか』考えて

次はそれをしないようにしましょう。

  

今回のの修正は後回しです。

  

今回の反省点は、 今回の修正をするのではなく

次に行かしましょう。

  

今回の反省点を今回の作品に反映させていると

あなたが上達するたびに過去の作品を全部書きなおす必要性に迫られます。

  

過去の作品は過去の作品。

  

過去は現在より下手で当然なんです。

  

過去のものを『下手だとわかった』のは『今がそれより巧いから』です。

  

『下手だったこと』ではなく『巧くなった』ことに注目しましょう。

  

『下手だったこと』に注目するから

『下手なものを残したくない』という『逃げ』が働いて

『今書いているものを下手で無くしよう』として

面白いか面白くないか、 などと考えてしまうのです。

  

今あなたが書いている小説は、 今のあなたの精一杯なんですから

後先考えずに『書き切る』ことが大事なんです。

  

書いてから、 公開までの間に考える。

  

そして、 公開したら忘れる。

  

公開したもので反省点があったら、 新作品に反映させる。

  

過去は変えない。

  

そのための『公開』です。

  

人目にさらしたものは、 誤字修正以外で修正しないように。

  

読者は『一度読んだもの』はできれば読みたくないです。

  

たまに、 何十回と同じものを読む人がいらっしゃいますが、 そういうのはまれです。

  

だから、 『一度公開したもの』というのは、 すでに最初の読者は読んでいます。

  

その人は二度とそれを読んでくれません。

  

その人は『あなたの新作』を待っています。

  

新作を待っている人を放置して、 公開済みの作品を修正する、 というのは

  • あなたが新作を書く時間がなくなる。

      
  • 修正しても読んでくれる人は少ない。

      

この二点に置いて、 永遠にマイナスなんです。

  

これから先、 何百作書きますか?

現時点で私は270冊程本を出しています。

  

一冊目なんて、 今のレベルで書いていません。

  

修正したい点なんてたくさんあります。

  

一冊書くごとに、 『小説を書くスキル』は上がります。

  

過去のものは下手だと感じます。

  

それを感じたときに、 毎回過去作を修正していたらどうでしょう?

  • 二冊目を書いたときに一冊目を修正する。

      
  • 三冊目を書いたときに二冊目と一冊目を修正する。

      
  • 四冊目を書いたときに、 過去三作を修正する。

      

どれだけ馬鹿げたことかわかりますよね?

しますか?

270冊書いたとしたら、 271冊目を書き上げたときに、 270冊全部書き直すんですよ?

馬鹿げてるでしょう?

『過去作を修正したい』というのは

一作二作しか書いてないからそう思うんです。

  

過去作を修正できる範囲でしか書いていないから、 そう考えることができるんです。

  

それもあって『多作しましょう』ということを勧めています。

  

毎週小説を短編でもいいから公開したら、 一年で50作近くアップします。

  

来年、 この50作全部修正しますか?

しないでしょう?

『毎週小説を一本書く』と『決めた』時点で

その未来は見えますよね?

すると、 一作目の今から、 過去作を修正しよう、 とは、 思わずに済むんです。

  

だって、 来年の今日、 過去作を修正しないんだから。

  

Twitterで、 フォロワーが100人未満だと

『誰がフォローしてくれたのか』確認したい人いますよね。

  

フォロワーが毎日1000人来たら、 確認しますか?

しないですよね?

『数が増えたらしないこと』というのは

『数が少なくてもしなくていいこと』なんです。

  

だって、 困ることなら、 『数が増えたら』困ることも増えるのだから、 絶対するんですよ。

  

『数が増えたらしないこと』というのは『困らない』『必要ない』ことなんです。

  

年間100冊本を出したら、 過去作を修正しないですよね?

致命的な欠陥がない限り。

  

なら、 二冊目を書いたときに、 一冊目の修正はしなくていいんです。

  

『今書いてる小説が面白いかどうか』とかいうのは

このことを考えているのです。

  

今のことができていなのに、

未来から自分を見て『下手なことをしたくない』と思っているから

出てくる思考です。

  

未来からみたら、 今の自分が足りないのは当然なんです。

  

それは『諦める』必要があります。

  

未来より今が巧いことは絶対にないです。

  

未来は確実に今より『巧い』です。

  

『巧くなろうとしている限り』ですけれど。

  

ビーズ細工に見る『未来から見た視点』。

  

私はもともと手芸が好きなので、 『メイキング』というのに目がないです。

  

でも、 現時点で手芸をしていません。

  

なぜなら

  • 私は『一流の人が作った一流の作品』を見て
  • それが作りたいと思ったから始めた
  • けれど
  • それが作れるようになるまでに
  • どれだけ駄作を作ることに時間とお金をかけなければならないのか。

      

ということに気づいたからです。

  

子供の頃はただ、 好きなだけ、 で作っていました。

  

子供の作ったものが下手でも誰も何もいいません。

  

小学校二年生の時に作った人形を、 母はずっと飾ってくれています。

  

私は、 捨ててほしい。

  

ビーズの講習を一度受けたことがあります。

  

延々と、 小さなビーズに糸を通して立体にしていく作業です。

  

しかも、 できあがったものは、 5歳児しか喜ばないようなおもちゃの指輪。

  

私が身に着けられるものを作れるようになるまで

どれだけこんなちゃちいもので練習しなきゃいけないの?

それを思った瞬間、 それ以上ビーズに時間をかける気にはなりませんでした。

  

アートフラワーもそうです。

  

花びらに色を塗って乾燥させる時間が二、 三日必要だと言われて

やる気がなくなりました。

  

今やりたいだけ、 やりこめるもの、 でないとやる気にならないし

修行中に作ったものがガラクタになるようなことはしたくない。

  

わけです。

  

その点で3d作成は、 はまりました。

  

最初に作るものは単純なものを作ればいいんです。

  

コップとか、 花瓶とか。

  

それって、 単純なカタチですが、 あとあとまでずっと使えます。

  

こういうのでないと、 私は『時間を消費する』気にならないのです。

  

だから、

『今下手な小説を書くのが嫌』という人の気分は、 わかると思います。

  

駄作を残したくないんですよね。

  

わかります。

  

秀才を目指そう。

  

でも、 最初から珠玉の逸品を書くことは、 天才でないと不可能です。

  

そして、 『書き方講座』とかを読んでいる時点で、 あなたは天才ではないのです。

  

天才は『やりかた』を検索しません。

  

自分の中からやり方は生まれてくるのですから。

  

天才でない限りは秀才になるしかないのです。

  

秀才になるには、 経験しかないのです。

  

だから、 経験値が低い間のものは全部駄作になります。

  

それは仕方のないことなのです。

  

それは、 諦めましょう。

  

そして、 自分を褒めましょう。

  

あなたはすでに『客観視する目』を持っている、 ということに。

  

上達するためには二番目に必要な『客観視』。

  

 上達するのに一番目に必要なのは『数をこなす』ことです。

  

でも、 駄作を無思慮に100個作っても、 上達するのは『速さ』だけです。

  

10個作ったら客観視で振り返る。

  

  • どこがおかしい?
  • どこか下手だと思う?
  • どうしたらいいと思う?

そう自分に問いかけて初めて、 反省できますし、

それを新作に反映することで、 スピード以外が上達するのです。

  

それをしないから、 いつまでたっても下手なのです。

  

一作目から『下手なものを書きたくない』と思う

その心は

褒めましょう♪

あなたはすぐに上達しますよ♪

ただ、 その『客観視』をブレーキに使っていては、 伸びません。

  

前に進めませんからね。

  

『客観視』を使っていいのは、 『最後』だけです。

  

車で外出する時に

  • 今の角度で駐車場出て良かった? もう一度やりなおそう。

      
  • 今のタイミングでウインカー出して良かった? 前の所まで戻ってやりなおそう。

      

って、 思わないですよね?

変な角度で出て失敗したな、 と思ったら、 次に出て行くときに気を付けますよね?

変なタイミングでウインカーを出してクラクション鳴らされたら

次にウインカーを出すときに気を付けますよね?

『今、 気づいた地点』まで『戻って』、 『やり直し』しないですよね?

小説を書いている途中で『やりなおししたい』というのは、

こういう無茶苦茶を言っているのだ、 と自覚しましょう。

  

車の外出で気になったことは、

『次のタイミング』でやりなおす

それでいいんです。

  

元の地点に戻る必要はありません。

  

そんなことをしていたら、 進めません。

  

小説が書けない人は、 こういう堂々巡りを、 気づかずにしているのです。

  

今気づいたのだから、 やめましょう。

  

『小説を書く』ことは『難しいこと』である、 とうい認識。

  

小説を書いている人は、 ヒトサマの小説を読んだことがあるでしょう。

  

一流の人のを読んだことがあるでしょう。

  

小説なんて文字だけの問題なのに、

なぜ自分は一流の人と同じように書けないんだろうと悩む人もいるでしょう。

  

『小説を書く』ということが、 そんな『簡単なこと』ではないからです。

  

読んだだけで一流の人と同じ文章がかけるなら、

小説家を目指している、 みんな一流になっていますよね?

なんでなれないんでしょう?

『読んだだけ』では『書けない』からですね?

『読んだだけ』では『できない』ということをまず自覚しましょう。

  

Twitterを見てください。

  

ほとんどの人が『そのツイート一つ』では成り立たないツイートをしていることに気づいていますか?

リツイートに意見しているのに、 『リツイートにリンクしていない』というのが最大の問題です。

  

『>』とか矢印とかで、 ツイートに連続性がある、 という説明ができていない。

  

それが必要だと気づいていないのです。

  

(たまに、 わざとしてる人もいますが)

ナニカ言ってるけど、 タイムラインを全部読まないと何を言っているのかわからない。

  

普通によく有りますよね?

どこから続いているツイートなのか、 という表示をしていないことが原因です。

  

もともと、 人に理解してもらおうと思ってないかもしれません。

  

長文ツイートと言っても、 140文字なのに

書いていることの意味がわからない、 ってことありませんか?

気取って言葉を選んでるんだろうけど、 そのせいで意味が通ってないよ、 とか思いませんか?

難しいことわざわざ言ってるけど、 それ誤用だよ、 って思ったことないですか?

140文字でも、 整合性のある文章を書ける人は多くないんです。

  

そして、 ほとんどの人は一つのツイートに140文字使ってないですよね?

1000文字の論文って、 ツイート七つ分ちょっとだから簡単

と先程書きましたが

それは、 『ツイートで140文字書ける人にとって』であって

普段のツイートで文字数制限を気にしたことがない人には簡単にできません。

  

ましてや、 数万文字になる小説を、 徹頭徹尾整合性をつけて書く、 というのはかなり大変なことなんです。

  

それをまず、 自覚しましょう。

  

自覚しましょう。

  

  • 『小説を書く』というのは大変なことをしている、 という自覚。

      
  • 大変なことをこれから始める、 という自覚。

      
  • 大変なことをしているのだから疲れて当然なんだ、 という自覚。

      
  • 疲れて当然なんだから休憩は入れなくてはいけないんだ、 という自覚。

      
  • 休憩は休憩であって、 戻ってこなければいけないんだ、 という自覚。

      
  • 休憩するなら、 確実に『休憩になること』をしなければならない、 という自覚。

      

これらの自覚無く小説を書き始めてたでしょう?

30キロの荷物を、 軽いと思って持ち上げたのです。

  

腰が壊れるかわりに『なぜ書けないの!』という焦燥で精神が狂っているのです。

  

ちゃんと、 『大変なことに着手している』と自覚して

自分が壊れないように対応しましょう。

  

休憩するなら、 確実に『休憩になること』をしなければならない、 という自覚。

  

↑これは、 『体を動かす』ということです。

  

小説(アウトプット)で疲れた脳は、 検索(インプット)をして疲れはとれますが

『座り続けた体』はそれでは疲れが取れません。

  

小説を書いているときに動き回っている人は少ないですね。

  

じっとして書いているなら、 『休憩』というのは、 脳と共に、 体も休憩させないと行けないのです。

  

『座り続けている』というのは

『動いていないから楽』だとあなたは思っていますが

『動いていない』ことは体にとって拷問だと、 自覚しましょう。

  

それを気づかずに、 何時間 も同じ体勢で座ってキーボードを叩いているから

腰痛だの、 肩こりだの、 眼精疲労だので『書けなくなる』のです。

  

それらは『小説を書いているから』ではなく

『あなたが身体的休憩を撮らなかったから』なのです。

  

『小説を書いてるんだからこれぐらいしかたない』なんて思わないでください。

  

何をするにしても『あなたが健康であること』が最前です。

  

あなたが健康でなくなれば、 小説を書く脳も疲労しやすくなって書けなくなるのです。

  

自分の体の健康をまず考える。

  

そして、 健康を維持しながら『小説を書く方法』を考える。

  

その考えが正しいと思ったら実行する。

  

これだけの話です。

  

これを考えずに小説を書いていると

私みたいに、 お尻に床ずれができて、 座っていることさえできなくなりますw

痛いよ! 床ずれ!

身動きできないよ!

身動きすると痛いから、 じっとしてて余計に悪化するよ!

小説に集中すると、 四時間ぐらい身じろぎ一つせずに打ち続けてました。

  

こういう悲劇で去年は一年中苦しんだんです。

  

休憩大事!

身体的休憩凄く大事!

まず、 お尻を椅子から浮かせることが大事!

お尻痛くなったら、 座ってられなくなるんだよ!

腱鞘炎酷くなったら、 キーボード叩けなくなるんだよ!

体が怪我したら、 それが痛くて小説に集中することなんてできなくなるんだよ!

初心者の人は、 とかく、 『それそのもの』の上達方法を聞きたがる。

  

けど、 『上達の秘訣』は『継続すること』で

『継続するため』には、 『やりやすい方法』を見つけないといけないわけ。

  

小説なんて座って書くものなのに、

床ずれを起こして座っていることが苦痛になるとか、 本末転倒なの!

あのころは立ってパソコン使えるようにして、 立ったまま小説書いたよ!

疲れたよ! 凄く疲れたよ! あんなこと二度としたくないよ!

だから、 今は床ずれできないようにこちょこちょ体動かしてるよ。

  

そのたびに集中力逸れるよ。

  

でも、 一瞬のそれは、 元に戻すように慣れさせたよ。

  

慣れなんだよ、 なんでも。

  

小説を書いてて、 どうしてもわからないことがあって、 それがわからないと先に進めないことがあるだろう。

  

そういうときは、 パッと検索して、 意味だけ取って、 すぐに小説に戻ってくるの。

  

何秒なら集中力が逸れないか、 知っておくのが大事。

  

その秒数なら、 他のことをしても大丈夫、 と知ることが大事。

  

そうでないと、 小説を書いているときに他のことを閃いたけど、

小説書きたいからそれ忘れた、 ってことは往々にしてある。

  

そして、 忘れたくないから、 小説書く気力が失せた、 ってことが多分にある。

  

そういうときは、 その閃いたことはメモしておけばいい。

  

『その秒数』でやってしまえば、 小説に対する集中力は消えない。

  

メモしたのだから、 もうそのことは忘れていい。

  

小説を書く集中力がなくなったときに、 そのメモを見て、 対処すればいい。

  

それだけの話しなんだ。

  

相変わらずいっぱい脱線したのでまとめる。

  

質問文

こんにちは!小説作法についてご質問させてください。

  

小説執筆中は推敲はしない(あとで行う)と、

晶山様ブログに書かれていらっしゃるのを拝読しました。

  

とても納得でき、 自分もそうしようと思ったのですが、

つい無意識に推敲しようとして手が止まります。

  

晶山様は執筆中、

どのようにして自分の中の編集者やあら捜しする読み手を追い出していらっしゃいますか。

  

執筆中に、

これ面白いのかなーと逡巡したり、

もっとちゃんとした文にしたい欲に気を取られることなく、

執筆に集中できるヒントがあれば、 ぜひお願いします。

  

どのようにして自分の中の編集者やあら捜しする読み手を追い出していらっしゃいますか。

  

100冊書いたらしないことは一作目からしない。

  

これ面白いのかなーと逡巡したり、

逡巡する前に書き上げる。

  

書き上がらないと面白さなんてわからない。

  

一文なんて、 しょせんは、 何万文字の中の一行でしかない。

  

その一文に気を止めるよりは、 全体の構成を考える方が『面白い』ものになりやすい。

  

もっとちゃんとした文にしたい欲

書き上がらないと、 どれが良い文章かはわからないから、 とにかく書き切る。

  

常に書き切る。

  

絶対書き切る。

  

書き切ってのち、 気になったら変更する。

  

書き切ったら、 一文なんて気にならないことの方が多い。

  

執筆に集中できるヒント

これらに気をとられるのは『人生の無駄』だと思えば、 気にならなくなる。

  

『時間の無駄』だと、 一分二分いいじゃないか、 と言う人がいる。

  

時間の無駄』というのは『人生の無駄』だと考えたら、 そういう意見は出にくくなる。

  

今、 自販機で120円の飲み物を無意識に買っているから

お金がない状況になるんだ

という自覚と一緒。

  

気づかないと、 無意識に無駄なことを山ほどしている。

  

自販機の買物を家計簿につけてご覧。

  

どれだけ高いものを買っているのかわかるから。

  

家でお茶を沸かして持って出たら、 数円なんだよ。

  

って話し。

  

自販機でモノを買うな、 と言っているんじゃないんだ。

  

自販機とかコンビニでモノを買うのは『贅沢な行為』だと、 自覚すればいいんだ。

  

『贅沢品を買っている』という自覚無しに、 垂れ流すからお金がなくなるの。

  

時間給で考えるといい。

  

それらをした時間が無駄になると思ったとき

それらにかけた時間給がそのまま現実で無駄になっている。

  

自分の時間を大事だと思えば思うほど時間給は高くなる。

  

損失は大きくなる。

  

『気づいた時間の無駄は金輪際しない』と自分に言明するだけで

時間の使い方は変わる。

  

『小説を書いていて修正したい』というその欲求は、

『小説を書いているから』出ることではなく

『時間の使い方』が甘いから、 出てくる欲求なんだ、 という自覚が必要。

  

そういう人は、 他の部分でも時間の無駄を無意識にしてる。

  

だって、 一番好きなことであろう『小説を書く』ということに対して

そういう『時間の無駄』をしているのだから。

  

他に気にせずしていることは、 もっと無駄が多いはず。

  

大丈夫!

すぐ巧くなるよ!

あなたはすでに『客観視』を持っているから♪

そのかわり、 『客観視』が常に監視してるから

自分の書いたものに『満足』できることはそうないよw

それはしばらく諦めてね♪

あなたはすでに『一流の目』を持っているから

自分の『一流ではない小説』を『一流の目で糺している』からね。

  

けれど、 それは悪いことではないの。

  

書いたあとでその『一流の目』で修正できる、 というのは、

物凄い勢いで巧くなる、 ということだから!

そしてその『客観視』をもっと進めるとね、

子供の下手な絵を喜ぶ親』の気分になるんだ。

  

すると、 『前作より新作の方が巧いわ♪』ということに喜べるようになるんだ。

  

わかるよね♪

今のあなたは『自分が一流ではない部分』を責めてる。

  

そのままだと一流になったって『超一流ではない部分を責める』んだよ。

  

永遠にその拷問は終わらないの。

  

何がつらいって、 誰に褒められても、 『自分が自分を責める』ことが一番つらいんだよ。

  

『自分で自分を許さない』ことが一番つらいんだよ。

  

『お上手ですね!』って言われても、 自分で自分を責めていると

『こんなもので上手って言わないで』って思っちゃう。

  

そして口に出したら、 褒めてくださった人の好意すら否定することになるんだよ!

これ、 言っちゃう人、 実際にたくさんいるよね。

  

そういう人は向上心が高いんだ。

   それはわかるんだ。

  

けど、 それは口に出しちゃいけないことなんだ。

  

あなたの作品を好きな人を全否定する言葉なんだと気づいて、 言わないようにしてほしい。

  

あなたの作品を好きな人は大体があなたを好きだよ。

  

だから、 あなたが苦しんでいるのを見るのはいやだよ。

  

そういうことを言われると『ああ苦しんでるんだ』ってわかってつらくなるよ。

  

そしてあなたを見ると、 『つらい』ことを思い出して、 作品を読むのがつらくなるよ。

  

そして読者は離れていくんだよ。

  

そしてあなたは『自分が下手だからだ』って自虐して、 もっと悪い方向にすすむよ。

  

そして読者がいなくなるよ。

  

そしてあなたは孤独の中で発狂するよ。

  

自分を許す』ということをしないだけで、 こういう地獄が口を開けて待ってるんだよ。

  

今、 これを読んだあなたは気づいたよね?

だから、 今すぐ『自分を許して』あげてね。

  

今下手でもいいんだよ』って、 自分に言ってあげてね。

  

私は巧くなることに努力してるんだから、 確実に巧くなってるよ』って『言って』ね。

  

『一流の人と比べて自分の駄目なところを見る』のではなく

『昨日の自分』と比べて、 『今日できた所』を褒めようね♪

『昨日との差で、 今日巧くなった部分』を褒めると、

毎日が喜びに満たされるんだよ♪

ああ、 前はこの使い回し、 気をつけて毎回修正してたのがもう修正しなくなったな。

  

ってのは、 凄く進歩なわけ!

わかるよね? ♪

喜べるようになると、 またもっと、 巧くなるのが速くなるよ♪

だって、 書くのが楽しいからね♪

なぜなら、 『自分が褒めてくれる』んだから。

  

一番褒めてほしい人に褒めてもらえるんだから!

すぐに上達するよ!

でもね、 上達したら、 できることが増えて

できることが増えると、 できてないところがいっぱい見えてくるのw

その時も一緒だよ。

  

昨日より今日できたところを褒めて、 一歩進めるだけでいいの。

  

一段飛ばししようとするから、 つまずくの。

  

今できない自分を許さなきゃいけない。

  

だって、 初めてしたことはできなくて当然なんだから。

  

前回修正したことを次にするのは初めてのことなんだ。

  

簡単に言うとね

『ナニナニするときに~』とかいう文章で『とき』を『時』に変換しわすれてる!

ということに気づくとするでしょ?

そしたら、 次に『ナニナニするときに~』と『打った』のは

『し忘れてるから修正しよう』と考えたあとに『初めてする経験』なわけ。

  

『初めてすること』だから、 間違えていいの。

   忘れていいの。

  

読みかえしたときにまとめて変換すればいいんだから!

修正をあとでしろ、 って言うのはこういう『まとめて置き換え』できることがあるから。

  

そういうのは一つ一つ修正するより、 書き上げた後に『置き換え』してしまえば

都度都度の修正は必要ないわけ。

  

そういうので小さな時間の無駄をしなくていいよ、 っていうのもあるんだ。

  

そういう『小さな初めて』を自覚して、 『間違ってもいいんだ』と思わないから

『できなきゃいけない』『できて当然』と思うんだよ。

  

間違ってもいいんだよ。

  

できてなくてもいいんだよ。

  

公開する前に気づいて修正すればいいんだよ。

  

その時気づかなかったとしても、 巧くなったら気づくから。

  

気づいたときに、 新作にそれを反映させればいいんだよ。

  

その『できなきゃいけない』って部分に『客観視』を使うからつらいんだ。

  

間違ってもいいんだよ』って部分に『客観視』を使うと楽になるよ♪

だって、 間違っていいんだから。

  

今は気をつけて修正していることが

今度は、 『書いている時から』自然にできるようになるんだよ。

  

だから、 書き進めたら『この修正がもっと増える』ってことはないんだ。

  

今修正したことは、 十作書いたら、 もう最初から修正不要な状態で書けるようになってるよ!

だからね、 『新しい気づき』の部分だけの修正しか出ないんだ。

  

『巧くなる』っていうのはそういうものなんだよ。

  

逆に言うと、 どれだけ巧くなっても

今と同じだけ修正は必要』なんだ。

  

だって、 上達したいんだから。

  

『修正の量は、 巧くなっても減らない』w

でも、 『増えない』よ。

  

前に修正が必要だったところは、 自然とできちゃってるからね!

それができるようになったから、 次の不愉快が目につくの。

  

そういうふうになってるの。

  

一段上がったから、 一段上がった分だけ高見から見下ろして、 もっと客観性が上がるの。

  

今ある客観性ってのは、 『今の高さ』の客観性なんだよ。

  

地面に立ってると、 『客観視』と言っても、 二メートル以下の視点しかない。

  

二階に上がったら、 六m上から見える。

  

山に登れば一キロ上から見える。

  

飛行機 から見たら、 地平線が丸く見えるよね。

  

『上達する』っていうのは、 『自分の位置が上がる』から

当然、 『客観視できる範囲』も広がるんだ。

  

だから、 『修正点は減らないの』。

  

だって、 前は見えなかったところが見えるようになるからw

愕然とするよ。

  

前の私はこれを気にせず本を出してたのか!

って。

  

でも、 それを『気づいたこと』に喜ばなきゃいけないよね♪

だって、 気づかずに垂れ流して恥の上塗りをすることをやめられたんだから♪

『客観視』ってのは使いどころなんだよ♪

『客観視』で『責める』んじゃなく

『客観視』で『褒める』んだよ。

  

 

あなたはすでに『客観視』できてるんだから、 『修正するのは簡単』なことなんだ。

  

その簡単なことを、 文章を書く都度するんじゃなく小説を書き終わってからするだけなんだよ。

  

文章を書く都度修正するっていうのは

海抜零メートルで客観視するってこと。

  

小説を書き終わって修正するって言うのは

その小説のボリューム分だけ高見から客観視するってこと。

  

見える範囲が大きい。

  

そして、 同じことをしてるなら、 一気に修正できる。

  

客観視できるあなたなら、 『どっちが得か』わかるよね?

損なことをわざわざしないよね?

これを自覚していないから

文章ごとに修正したくなるんだ。

  

だから、 多作を進めてる。

  

100本書いたら、 こういうのは自然と身につくよ。

  

だって、 100本書いてる間に、 一作の一行ごとに振り返ってられないからw

  • 一行ごとに振り返るのは、 締め切りが無いから。

      
  • 締め切りを伸ばせるから。

      
  • あなたの作品を早く読みたくて待ってくださっている人、 を視界に入れていないから。

      

巧くなりたいなら数をこなす必要がある。

  

数をこなすためには

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